ミール・プレップ

日本から帰って来てバタバタと慌ただしい日々が続いている。
ヘルシーな選択肢のある食生活から一変、
帰宅後1ヶ月でギトギトのアメリカ食生活に戻ってしまった。
特にランチは私達家族4人の他に、
車屋で働いてくれている2人の分も必要なので
ピザ、中華、サンドイッチ、のローテーションになってしまう。

体づくりに目覚めた長男は、友人から聞いた
『ミール・プレップ』を提案してくる。
その中学校の同級生は200ポンド以上あった体重を
1年ちょっと掛けて130ポンド代まで落としたそうだ。
もちろん運動もしているが、食生活も徹底して変えたらしい。
ジャンクフードや甘いものを断ち、
ヘルシーな食事を日曜日に1週間分用意しているそうだ。
「ピザなんかより、作り置きしたヘルシーな食事を食べたい!」と言ってくる。
何度か挑戦しているが量がイマイチ把握できず、
1週間ぶんを一気に作るのは難しい。

例えば今日はこんな感じ。
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トマト、きゅうり、玉ねぎのサラダ
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ロースト野菜(スイートポテト、ズッキーニ、玉ねぎ)
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麩の煮物(ダシが出るように入れた鳥の骨はあとで取り除く)
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鳥もも肉の照り焼き
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これをランチプレートに 最後に自分の分をよそって食卓に着くと、
オスカーはどこからかベーグルを出して来て一緒に食べている。
白米がプレートに載っていても関係なし。
麩の煮物は私にとっては懐かしい味だが
他の3人は「なにこれ?」と言いたげな顔で
子供達2人は食べず。
確かに彼らの目線から改めて麩を見ると、
パンを煮付けた様にしか見えない。
余談だが、1週間ほど前に次男が乾燥した麩をかじって
「これ全然美味しくない」と言ってきた。
「それ、そのまま食べるんじゃないよ!
水でふやかして煮て食べるんだよ!」 と慌てて言うと、
「え、じゃあ僕は死ぬの?」 と来た。
いやいや、死にはしないけど(苦笑)。

結局お弁当2人前ほどが残った。
そうそう、明日から子供達は新学期を迎えるのだ。
早速お弁当準備ができたではないか!
そう思って長男に言うと
「お弁当はサンドイッチでいいよ。 その方が食べやすいから。」
…… なんか、肩透かしを食らった気分。
はいはい、パンを買ってきて明日の朝はサンドイッチね。
何事も一筋縄ではいかない。

写真でイラン2019 〜食事編〜

イラン料理はシンプルな味付けなので食べやすい。 みんな大好きカバーブは滞在中何度もレストランで食べる。
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毎回行く「アラシ」というレストラン。
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テヘラン市街の川沿いの町で入った魚料理が有名なお店。 開いた白身魚を丸ごとフライにしてある。 ラバソンにあるレストランは木が沢山茂る中に
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小分けになった部屋が沢山あり、
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水が流れていたり、 小鳥のさえずりが聞こえたりと涼を楽しめる演出満載。 大きなお盆?に色々な肉の並んだミックスカバーブ。
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物価は上がったと聞いていたが、レストランで6人〜8人で食事をして だいたい$50前後の事が多かったので、 アメリカや日本に比べると安い。 新しくできたばかり!と義弟が張り切って イタリアン・レストランに連れて行ってもらった。 内装も素敵でメニューも充実していた。 また今回初めて寿司を出すお店発見! テイクアウト中華のお店に少し日本風メニューがある感じで 正直お店が流行っている気配はなかった。 私達もメニューを見に入ったが、 義妹と甥っ子夫婦が見るからにおっかなびっくりで 食べる気ゼロだったのでやめて、 隣のファーストフード店でバーガーとパスタを食べた。 ここ数年でイランは一気に欧米風のレストランが増えた気がする。 ピザ屋やアイスクリームショップは夜中でも大賑わいだ。

イラン帰省 2019 〜ラバソン〜

今年の滞在は短期間だったのでテヘラン外への遠出はしなかった。
代わりに山を一つ越えた別荘地、ラバソンに度々遊びに行った。
Orchard1 
弟・べへルーズの果樹園でバーベキューをしたり、
Orchard2

 Kabab2019 
ちょっと足を伸ばしてハイキングしたり、
週末には沢山の親類を呼んでパーティーをしたり。
高地にあるのでテヘランより気温が低く、
夜は掛け布団が必要なくらいの気温だった。
今年もたわわに実るサクランボを期待して行ったのだが、
6月初めという事で全く熟しておらず。
「なんでこんなに早く来たんだ!」と怒られる始末。

7月に入らないとラバソンのサクランボは熟さない、
今後の教訓としてここに記しておこう。

このテヘラン最寄りの避暑地が、大変な事になっている。
ラバソンのあちこちに建っているモダンな別荘が、
次々に壊される事態に陥っているのだ。
どうやら土地を買った時の権利証もなければ
その土地に建物を建てる許可証も取らずに建ててしまった人がほとんどらしい。
それにご立腹なのはラバソンの役所である。
勝手に建ててしまった建物の壁にスプレーペイントでデカデカと
「○月○日までに改めよ」とお達し?を書いて回った。
それ以外の書類通知は一切なし。
「改めよ」と言われた住民側が役所へ行くと
「この問題はここの管轄じゃない。郡の役所へ行け」と言われ、
郡の役所へ行けば
「ここではどうにもできない。環境課へ行け」と言われ、
堂々巡りのたらい回しにあったそうだ。
そうこうする間にもスプレーペイントで書かれた期限は迫る。

べへルーズの携帯電話を預かっていたある朝、電話が掛かってきた。
相手は切迫した雰囲気で
「奴らが来てるぞ!お前の家の方に向かってる!」
とだけ言って電話を切ってしまった。
それを受けて慌てたオスカーがべへルーズに連絡をして
(この連絡をするのも1時間くらい掛かった)
我が家の長男を伴ってラバソンに出掛けて行った。
私と次男はべへルーズの自宅でお嫁さんと待っていたが、
なかなか戻ってこない。

夕方過ぎに戻って来た3人は疲れ切った顔をしていた。
「ショベルカーが来て家をボロボロに砕いてしまったんだ!」
長男が携帯で動画を取っていたら役人が走ってきて
「撮るな!撮るな!」と言ったらしい。
が、イランの血が流れる我が息子、その後もしっかり撮影してきて見せてくれた。
Demolition1 Demolition2 Demolition3 
壊されたのは山に登っていく中腹の数軒と、
べへルーズの別荘の真裏の一軒だった。

べへルーズは土地を買った際に書類手続きをしたので、
今の所目を付けられていないらしい。
そんなトラブルで右肩上がりだったこの別荘地の価値が暴落してしまったそうで、
べへルーズは何だかションボリしてしまっていた。
べへルーズの息子も血相を変えてラバサンに飛んで来たらしいが、
他人の家が壊されるのを見ても動揺していたそうなので
自分達の果樹園に何かあった日にはどうなってしまうのだろう?と心配だ。


しかし... そこは強かなイラン人。
数日後に今度は全然別な方向へ1時間近くも車を走らせ、
べへルーズが案内してくれた場所には見渡す限り広大なりんご畑が広がっていた。
車でさらにデコボコ道を進んでいくと
りんご畑は割と小さい区画に分けられている事に気づいた。
車を降りた私達にべへルーズは
「ここが俺の果樹園。
隣がアミン(一番下の弟)。
その隣の隣がジャバッド(オスカーのすぐ下の弟)。」
大通りに近い角地にあるべへルーズの果樹園に入ってみると
すでに家の骨組みができ始めている。
「ここは建築の許可取ってる... よね?」
「いや、ないよ。」

イラン人よ。
いつになったら、いや何が起きたら学ぶのだ?

写真でイラン2019 ~お店編~

イランにいるとよく見る光景や、当たり前の街並みだけれど
アメリカに戻ってみるとまるで夢物語の中の光景。
今回は長男が私よりずっとこまめに日常の景色を
携帯のカメラで撮ってきてくれていた。

写真で振り返るイラン。
まずはお店編。
Chicken store 
チキンの丸焼き店。
ちょっと焼きすぎでぱさぱさだったのが残念。
Pharmacy19 
義弟・べへルーズの薬局店内。
最近はべへルーズの息子と甥っ子がフルタイムで就労中。
Turkish kabab 
日本でケバブと呼ばれるものはイランでは「ターキッシュ・ケバブ」。
日常的に食べるカバーブとは別物。
Fruit shop 
ケバブ屋さんの隣、閉店間際の果物屋さん。
Sweets&Meats 
左がクッキーなどの焼き菓子店、右が肉屋さん。
Sweet shop 
スイーツやペストリーのお店。
キャンディーやチョコレート、ナッツ類もある。
訪問用手土産を買うのによく立ち寄っていた。
Btique 
マント―屋さん。
マント―とは女性が一番外側に羽織る服。
長袖で、丈は臀部が隠れるくらいか、もっと長め。
Cloth store 
ブティック風の服屋さん。
かわいい服もたくさんあったが、値段も高めだった。

イラン帰省 2019

人生初の『時間差攻撃時差ボケ』に耐えつつ、旅行記を進めるとしよう。
(アメリカに戻って5日目、子ども達は昼夜完全に逆転してしまっている。)

イランは2年振り、前回甥っ子の結婚式に参列して以来だ。

今回もオスカーの父親と妹が住むテヘランの家に滞在中ずっと泊めてもらった。
オスカーの父が痴呆を患っており、
前回渡伊時点でも心配だったのだが、
今回は体力も落ちてきているなぁと感じた。
以前は外に出たがり、目が離せない状態だったが、
今年は家の中で寝転んでいる事が多く、
思い立った様に立ち上がると家の中を壁伝いにグルグル歩き回るのみ。
親戚の家などにお呼ばれして一緒に行くと、
翌日は疲れてウトウトしている時間が長い様に見えた。
それでも私や子ども達と目が合うとニッコリ笑って会釈をしてくれるし、
時々明かりが点いた様に冴えて、甥っ子がペルシャ語の詩の上の句を言うと
下の句をスラスラと暗誦したりしていた。

義父と毎日一緒に暮らす妹・ロズィーは
3年近く前に他界した母の死以来立ち直れず、
げっそりと痩せてしまい、始終愚痴ばかりが口に出る。
おそらく他の兄弟からは呆れられてしまったのだろう。
周りには誰もロズィーの味方になってくれる人も、話を聞いてくれる人もいない。
2人きりになると一生懸命私に話すのだが、
私のペルシャ語能力では半分ほどしか理解できず、
言ってやりたい事も上手く伝えられず、もどかしかった。
彼女の心労や日々の大変さもわかるのだが、
弟達側にも妹に対して相当な不満が鬱屈しているらしい。
居候している間にオスカーにとっても目に余る言動が多々あり、
日に日に妹に対してイライラが募る。

滞在中どうにか状態を良い方向に持って行こうと皆と話したが、
家族の問題と言うのはどの国でも難しいなぁ... と
頭を抱えてしまう結果となった。
オスカーは父が亡くなればもうイランに行く必要がない!とか
親類親兄弟が近くにいなくて(アメリカで核家族だけで暮らしていて)良かった!
など、ついつい口に出てしまっていたが、
オスカーの兄弟妹、甥っ子達にとってみればそのストレスが日常なのだから、
そんな酷いこと言わなきゃいいのに... と内心ハラハラ。

今回は2週間と短めの滞在だったので、
皆に「どうしてもっと長く居ないのか?」と訊かれた。
その度にオスカーが「この後日本に行く」とふれ回ったお陰で
「日本とイラン、どっちが好き?」と
皆に究極の選択を迫られる私と息子達。
「どっちも好き」と言っても全然信じていない様子。
弁明してくれる通訳は不在...。

旅行直前にアメリカが中東に空母や兵士を派遣し始めたり、
イラン滞在中も石油タンカーが襲撃され、
アメリカ側が「イランの仕業」と発表するなど、
二国間の緊張が高まる中の旅行だった。
イラン国内では物価が高騰しており、
卵、牛乳や肉など日常食べる物の値段が上がっていると嘆く声がチラホラ。
オスカーの兄弟親戚は薬局経営者が多く、
その他にもビジネスを営む人がほとんどなので、
それほど生活苦の兆しは見られなかった。
Party 
いつもの様に毎日夕食に招かれて、
甥っ子の家、次は弟の家、連夜20人ほどが集まり、
各家庭で食べきれないほどのご馳走が振舞われた。
Dinner 
相変わらずサービス精神全開のイランであった。