イラン旅行記 <9> 従兄の別荘

ここ数年、オスカーの従兄や甥、姪達の結婚・出産ラッシュ。
一族の新しいメンバーが増え続けている。
この日はマジッド&オミッド兄弟の別荘へ招かれた。
二人は昔ベヘルーズの薬局で働いていたが、
今は独立し、二人で薬局を経営している。
ちなみにマジッドとオミッドはベヘルーズの妻であるパルビンの弟達。

アブ・サルデという別荘地らしいのだが、テヘランからは1時間強かかった。
到着してみてビックリ!
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この解放感!
山の斜面にあるベヘルーズの別荘とはまた違った雰囲気。
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やはり果樹が沢山。
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犬や鶏を飼っていた。
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この街の名前「アブ・サルデ」「冷たい水」という意味。
別荘にあった大きなプールの水がものすごく冷たい。
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山から引いているのだろうか?

ベランダから見守る女性陣。
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肌を見せてはいけないせいか、女性達は泳げない人が多い。
私は服を着たままプールで泳いだのだが、皆、珍しい生き物でも見るかの様。
私と一緒に唯一泳いでいたのがセピデ。
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超美人でスポーツ万能なサイードのフィアンセ。

この日はマジッドとオミッドの兄弟姉妹がほぼ全員集まり、
それぞれの父、母などが加わって大勢だった。
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ランチ風景。
食事の後は、女性陣が散歩に行くと言うのでついて行った。
超いたずらっ子のバルディアも一緒。
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道端の風景
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女性陣記念撮影
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帰りはトラックの荷台にのってはしゃぐ女性陣。
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夜になっても大騒ぎ。
サッカーゲームをしてみたり、記念撮影をしたり。
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オスカーと両親
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バルディア+おじいちゃん(青年時代オスカーとつるんで悪さしていたらしい)
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家族が多いっていいなぁ、と思う。
しかし濃密な家族には、それなりの波風も立つわけで、
私も過去に何度か一触即発(!)の親族会議に同席させられたことがある。
そんな色々な事もありながら、こうして集まって
一緒に楽しく過ごせるのは本当にうれしい。

イラン旅行記 <8> ハマダーン旅行③

ハマダーン市内を駆け足で廻った理由は、今回の最大の目的地、
アリー・サダッド洞窟へ向かうためだ。
ハマダーンから約2時間ほど離れた場所にあるこの洞窟は、
知り合いのイラン人から「ぜひ行ってみて!」と勧められていた場所だ。

Iran Japanese Radioのサイトに詳しい説明があるので、ぜひご一読あれ。

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またもや荒野をひた走り、やがて黄金色の小麦畑が遠くまで続く、
アッバス・キアロスタミの映画に出てきそうな景色に変わった。
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しかし畑の起伏は丘という雰囲気で、一体どこに洞窟が?と訝しんでいると、
「はい、到着」と言われた。
日本の感覚から、山の麓にあるのかと思っていたら大間違い。
やはり観光地らしく、レストランや遊具などの施設があり、
その奥の立派な建物に入ると、ライフ・ジャケットを渡された。
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それを着用して進んでいくと、すぐに洞窟の中へ。
入った瞬間、ひんやりと涼しい。
入口は広々としていて、段々と狭くなっていくけれど、
きちんと整備され、ずっとライトアップされているので
閉塞感もなければ、心細くもならない。
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ただ通路の左右にずらーーーーっと椅子がならんでいるので不思議に思っていると、
普段は観光客で長蛇の列になるので、椅子に座って待つのだという。
これまたラマダンの影響で、洞窟内には人っ子一人いず、我ら一行の独占ツアー。

やがて船着き場に到着。
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ボートに乗り込み、船頭とお客一人のボランティアとで足漕ぎで進んでいく。
我らの漕ぎ手は義弟のベヘルーズ。
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ところどころに水深が記されており、深いところで13メートルとあった。
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水は澄んでいて冷たかった。
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あちこちから垂れ下がる鍾乳洞は圧巻そのもの。

その後船を下り、徒歩でガイドが説明してくれる区間があった。
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またもう一度船に乗って、合計2時間強の洞窟散策だった。

自然が作り出した美しい鍾乳洞に囲まれた異空間でを満喫できた。
オスカーも弟夫婦も初めて訪れたので、満足気だった。
「こういう所に遠足で子供たちを連れてくればいいのに。」と
しきりに言っていたオスカーであった。

イラン旅行記 <7> ハマダーン旅行②

ハマダーン旅行、2日目の朝。
早めに起きて朝食を食べ、ホテルを早々にチェックアウト。
車で街の中心部へ向かう。

私達が最も見たかった史跡が「アブ・アリ・スィーナ廟」。
2世紀の研究者で、哲学や医学に精通したイランが誇る偉人の一人だ。
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うちの次男の名前は彼からとったので、次男は特にこの史跡を楽しみにしていた。
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公園の一角に建っている。
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次男、アブ・アリ・スィーナ像と一緒に。
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高い塔部分の真下はこんな風。
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建物の中は展示場になっていた。
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外の塔へ。
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その後も駆け足で街の中の史跡を巡った。

こちらは「詩人/バーバー・ターヘル廟」。
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塔の内側。
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イラン人は詩をこよなく愛する民族。
こんな風に後世に語り継がれ、祀られている詩人が沢山いる。

バーバー・ターヘル墓のすぐ脇で陶器を売っているおじさんがいた。
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細かい模様がちりばめられた皿や瓶などは、何度見てもうっとりしてしまう。
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ハマダーンはこういった焼き物が名産でもある街らしい。
ここでお土産に皿を3枚購入。


「ゴンバデ・アラビアン」
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6世紀に勢力のあったアラビアン家がモスクとして建設し、
後に墓となった建物。
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中に入ってみる。
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壁の模様。
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地下に続く階段が、恐ろしく狭くてびっくり。
恐る恐る地下に下りてみると、とてもお墓らしい作りになっていて、
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イラン式に泣き伏す真似をする面々(笑ってる人、不謹慎)。
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歴史的遺産にはそれほど関心を示さないオスカー。
このアラビアンの墓でも、最初に目に入ったのがこの木。
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「アプリコットだ!」と目ざとく見つけて、
係員のおばさんに木について質問しまくり、
「誰の木ってわけじゃないから、好きなだけ摘んでいきなさい」
と言われていた。
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時間さえあったら収穫祭をやっていそうな面々だったが、
この後、この旅行、最大の目的地へと向かって急いだのだった。
つづく・・・

イラン旅行記 <6> ハマダーン旅行①

今回の帰郷で唯一、泊りがけで訪れたのがハマダーンという街だった。
この街は世界で最も古い都市の一つで、聖書にも記録があるそうだ。
古都らしい史跡や建造物が多く、テヘランから300キロ以上離れているが
人気のある観光地だ。

昼過ぎにテヘランを出発し、イランらしい荒野を南西にひた走る。
途中スピード違反の取り締まりに2度も止められてしまい、
義弟のベヘルーズは苦し紛れに
「スピード出しすぎのはずがない!
俺の車には日本人が乗っていてスピードを出させてくれないんだから!!」
と私を言い訳に使ったらしい。
警官達と義弟がニヤニヤこちらを見ているなぁ、と思いつつ、
車内から笑顔を返していたら、なんと日本人に免じて2回目のスピード違反はなかったことに。

夕方、ハマダーンに到着してホテルを探す。
先述のラマダン(断食月)の影響で、繁忙期の半額で泊まることができたらしいが、
それでも一泊約2万円のお部屋(ビュッフェ形式の朝食付き)。

日も傾いていたが、せっかくなので観光することにした。
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まずはロープウエーに乗り、
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ハマダーンの街が見下ろせる山の上へ。
その頃には日もとっぷり暮れ、明かりがくっきりと
その円形の街の形を浮かび上がらせていて綺麗だった。
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(手ぶれ、すみません・・・)
山の上にはモスク(イスラム寺院)があり、
そこまで野原のような道を歩くのだが、途中大きな岩がそびえ立っていた。
誰かの墓石らしいのだが、ほぼ暗闇で何も見えない。
その岩山をオスカーと弟、そしてうちの子供たちが登っていき、
声は聞こえるが姿形が全く見えなくなってしまった。
足でも滑らせたら・・・と想像すると恐ろしくなり、
離れた場所から「早く戻れ!」と念じ続けた。
ようやく戻ってきた男性陣と再びロープウエーに乗って山から下りた。
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上からも見えた滝
広場になっている場所には露店が出ていて、観光客も沢山いた。
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観光客の一人に「ギャンジュ・ナーメ」の存在を教えてもらい、その場所へ。
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ペルシャ王を称えた詞が3つの古代言語で記されているのだが、
もう暗かったのでよく見えず、何だか理解しないままササッと記念写真を撮った。
フロリダに戻った現在、長男は歴史の授業で古代文明を学んでいる真っ最中。
メソポタミア文明、ペルシャ帝国など、まさに彼の地で
遥か昔に巻き起こった事象を勉強しているわけだ。
「先生が説明する楔形文字が刻まれた場所へ夏に行った、
なんて友達はクラスに誰もいないだろう!
お前の体にはペルシャ人の血が流れているんだぞ!」
と、今更ながらに大興奮した母であった。

ハマダーンの旅はつづく・・・

イラン旅行記 <5> 山登り

ある日ラバサンの果樹園に親類たちが集まって、ランチを食べた。
ランチの後かたずけが終わり、腹ごなしに散歩に行くことになった。
男性陣が「山へ行こう!」と言う。
どんな山なんだ?と訊くと、すぐ近くのちょっとした山だ、という。
気楽な気持ちで歩き始めてビックリ!
そびえ立つはげ山にどんどん近づいていくではないか!
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しばし呆然としていると、後から来た長男と甥のサイードが追いついた。

長男は食後に、従兄からのレスリング攻撃に遭い、
「首が痛いから行かない」と半べそで、私達とは一緒に来なかった。
しかしサイードが半ば強引に、後から長男を連れてきてくれたのだ。

イランに到着した直後から、しつこいくらいのちょっかいに始まり、
20代の従兄が体当たり、くんずほぐれつ遊んでくれたり、
とにかく私とオスカー二人では到底賄いきれない量の愛情シャワーを、
家族の皆が代わる代わる注いでくれていた。
ずっと晴れなかった長男の表情も、
この止むことのない愛情攻撃に少しづつ、少しづつ、ほぐれて行っていた。
そしてこの日も「首が痛いのに何でレスリングするんだ!」と一度は怒ったものの、
もう一人の従兄に説得(無理矢理腕を引っ張られて)、山を登り始めたのだった。

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はげ山は近づいてみると、石ころと土埃にまみれた乾いた山肌だ。
一歩登るとずるずると滑り落ちるので、ほぼ四つん這いになって
所々に飛び出している岩に手や足を掛けて少しづつ登っていく。
息は上がるし、滑りそうでとっさに掴まった植物はチクチクと棘だらけ。
同行していた親類の(ちょと太めな)お兄ちゃんですら
「俺を置いて行ってくれ!ここで待ってるから。」
と何度も泣き言を言うほどだった。
こんな道程だとは(もちろん)誰も教えてくれなかったので、次男はスリッパ履き。
長男は手のひらに10か所以上も棘が入り込んでしまった。
それでも悪戦苦闘の末、どうにか全員で頂上へ。
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180度の見晴らしといい、吹き抜ける風といい、最高の気分だ。

長男が私に歩み寄ってきて、「できた・・・」とつぶやいた。
涙で声が詰まっている。
きっと私達とは別のレベルの達成感が、長男の心の中に押し寄せていたのだと思う。
1年近く思うように動けなかった彼は、自分の体に自信を無くしていた。
何をしても痛い、首が痛いから何もできない。
そう思い続けてきた日々が、この時、この瞬間に終わった。

実は出発前、アメリカでは色々な専門家をたらい回しにされた結果、
精神科の医師に、うつ病の薬とカウンセリングを勧められていた。
実際カウンセリングは3回ほど通ったのだが、
カウンセラーに慣れるためにゲームをしたりしている段階で
イランに出発することになった。
もし、あの時、大事を取ってイラン旅行に出掛けなかったら、
今、元気に中学校に通うことができたのか、かなり疑問だ。

「自分は大丈夫だ」
そう思えることが、ようやくできた。
長男が自分で体得しなければならなかった感覚だったと思う。
ずっとずっと晴れなかった雲間からパッと光が差し込んで、一気に青空が広がった様。
この日から、長男は少しづつ「痛い」と言う回数が減り、
滞在期間中、後半は筋トレ・アプリをダウンロードして腹筋を鍛え始めた。
もともと体を動かすことが好きな人間なので、火が付いたらメラメラと燃え上がったらしい。

この一歩が、越えられなかった回復への歩みだしが、イランに来たからできたのだと思う。
少々荒療治だったかもしれない。
でも皆の濃厚な愛情というセイフティーネットがあったから、できたことだ。
親戚や家族には感謝してもしきれない。

長男だけではなく、次男もこの1年近い間、
日々押し殺して我慢していた部分が多々あった。
それが毎日晴れ晴れとした表情で、走り回り、声を上げて笑い、
まるで解き放たれた鳥を見るよう。
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イランに来て、本当によかった!