Mの帰国

2016年が明けた。
読者の中には、移民家族の父・Mが牢獄の中で新年を迎えたのか、と
心苦しく思っている方もいらっしゃるかもしれない。
なのでMのその後をご報告したいと思う。

投獄されて4か月が経過し、3度目の公判前手続きに直前に、
ようやくMの弁護士から
「きっと今回で片が付くだろう」と連絡が入った。
そして12月初旬、Mは釈放された。

起訴されていた3件のうち、2件は取り下げられた様だ。
1年間の保護観察を言い渡されたが、
この郡内に住んではいけないこと、
また妻に連絡してはいけないことのみが条件であった。

しかし釈放もめちゃくちゃであった。
夜の10時近くに突然オスカーの携帯電話に電話がかかってきた。
Mを釈放するから迎えに来い、と言うのだ。
「もう一晩とめてやってもらえないか?」と尋ねるオスカー。
どうやら断られたらしく、出かけて行った。
Mは郡内に住んではいけないので、
片道40分ほどかけて、郡の外にあるモーテルに連れて行かねばならなかった。

そして2日後に保護観察官に合わせるため、
オスカーがMをモーテルまで迎えに行った。
その際、イランに帰国する許可書を書いてもらった。
私は「そんなに簡単に出国できるのだろうか?」と訝しんでいたのだが、
正式に許可が下りたので、急いで飛行機のチケットを手配してやった。
そして釈放から4日後の朝、Mはイランへ向けて飛び立っていった。

オスカーも、そして私も、なぜだか晴れやかな持ちでいっぱいだった。

考えてもみてほしい。
右も左もわからぬ異国の地で、言葉もあやふやな状態で、
4か月も投獄されてしまう恐怖と絶望感を。
Mはとても痩せて、坊主頭になっていたそうだ。

イランに到着して、すぐにM本人と彼の姉から電話があった。
喜びに溢れた到着報告だった。
ようやく、肩の荷が下りた。
そんな気分。


その後も度々、Mと姉から電話がかかってくる。
私達にとても感謝していること、もとの銀行勤務に戻れたこと、
そして投獄されていた間の色々な出費は近いうちに返すから、ということ。
イランに帰った途端、もう連絡もこなくなるかも?
と思っていたけれど、思った以上に常識のある人だったらしい。
オスカーの弟のところには果物の贈り物までしてくれたそうだ。

アメリカにいる娘たちとも、どうにかして連絡が取れたらしく、
「靴をほしがっているから、買ってやってくれないか?」と頼まれたりしている。
娘たちがどうしてるのか、オスカー経由のまた聞きなので
詳しいことはわからないのだが、幸せな暮らしのはずがない。
靴や服など、娘二人が使うものならば、どうにかして届けてあげたいとは思う。
(現金をやったらRが好き勝手に使うのは目に見えているので嫌だが。)
今回の一番の犠牲者は娘たち二人なのだから。

Mによると、娘たちが「今、家を探している」と言っているそうだ。
そろそろ被害者救済団体の施設にもいられなくなるのかもしれない。
一生タダなんてサービスはないのだから、
そろそろRも自力で生き始めなければ。

もしかしたら「ある移民家族」シリーズもこれで終わりかもしれない。
もうすぐ母娘もイランに帰るかもしれないし、
この街に残ったとしても、私やオスカーの前に姿を現すわけはない。
Rのプライドが許さないはずだ。
いや、戻ってこないことを祈る。
双子の娘だけが、心配だけれど・・・。

移民家族 母娘はどこへ?

R側の一族からは、すっかり『黒幕』呼ばわりされているフロリダ娘。
彼ら曰く、全てのトラブルの原因は私にあるらしい。

こちらは無視を決め込んでいるものの、内心ライラしてしまうし、
また何か迷惑を掛けられるのではないかと不安が消えない。
なんだかんだ言って、Rに固執する私がいる。


10月下旬のある日、子供たちを学校に迎えに行った帰り道。
少し遠回りの道を運転していた私の目に、道端に立っているRの姿が飛び込んできた。
後姿だったが、なぜか「Rだ!」と、瞬時に察知した。
通り過ぎる瞬間に顔を確認した。
間違いない。
彼女はバス停に立っていた。
なぜ、こんな場所にいるのだろう?
Rのアパートからは遠く離れた場所だ。
我が家と自営業の車屋に近かったので、なんだか怖くなった。
その話をオスカーにしていた矢先、管理人のCさんから
「Rがアパートを出る」と、連絡が入ったのだった。

Cさんのアパートを出て、母娘はどこへ行くのだろう?
お金も残り少なくなっているはずだし、他に頼る人もいないだろうに。
まさかアパートを探していて、あのバス停に立っていたのだろうか?
ということは、また我が家の近くに住むつもりなのか?
ますます不安が募る。

そもそも私には、どうも合点がいかない点があった。
Rの動きは彼女独自の力でできる行動とは思えない。
2回の夫逮捕劇も、どうも誰かにアドバイスを仰いだらしい、
と疑っていたが、その後も素人らしからぬ動きを見せている。
9月末に、Mにイラン人の弁護士がつき、
仮釈放の申請が通るかもしれない、と聞いた矢先に、
Rが接見禁止の申し立てを裁判所に提出した。
そのせいで仮釈放の申請が却下されてしまった。
それまではMが出所してくる事に異存なし、と言っていたはずだった。
逮捕劇から1か月以上が経過してからの申し立て、
タイミング的に「なぜ今さら?」と思った。
Mに弁護士がついたと知っての防御策か?
仮釈放の申請をするであろう、と見越して先手を打ったのか?
いくら悪知恵が働くとはいえ、
来たばかりの異国の法に精通している風なのはどうしたことか?

そこで改めて、裁判所の公的記録をネットで検索した。
Rの申請した接見禁止の申し立ても、もちろん載っていた。
それを見て、はっとした。
Rも弁護士を立てている。
今度は、その女弁護士の名前を検索してみる。
すると彼女は家庭内暴力事件の専門家という事がわかった。
この女弁護士は大学の法学部で臨時講師をしているらしい。
彼女はこの法学部内に、家庭内暴力を受けた人が駆け込める
「クリニック」を設立したのだそうだ。
彼女は学生時代に、ある『家庭内暴力被害者の救済施設』で
ボランティアをしたことがきっかけで、
精力的に被害者の援助に力を注いでいると言う。

そこで私は気づいた。
『家庭内暴力被害者の救済施設』!
それが、あの日Rが立っていたバス停のすぐ目の前にあるではないか!
Rはそこに行っていたんだ!

全てのパズルのピースがはまった気がした。

Rはウェブ検索か、警官の紹介か、何らかの方法で、
家庭内暴力被害者救済団体と、
この弁護士が開設したクリニックを知ったのだろう。
クリニックは多方面からの援助金や寄付金で運営されており、
特に支払い能力のない被害者に、優先的にサービスを提供している。
クリニックの相談料はもちろん、弁護士料も全て無料になるのだ。
さらに救済団体に住居を世話してもらおう、と相談に行ったのだろう。
それらのサービスを受けるためのステップとして、
Mの接見禁止申し立てをしたのではないか。


Rは、いろいろなサービスを無料で受けられ「しめしめ」と思っているだろう。
女性にとって、なんて優しい国なんだ!と。
弁護士や救済団体から、経済的・社会的自立を促すアドバイスを受け、
「私は一人でもやっていけるわ!」と、
気持ちが盛り上がっているのではないだろうか?

オスカーは「いや、絶対に崖っぷちに立たされた気分に違いない」と言う。
ここまで堕ちる人間もそうそういない、と。
それも一理あるかもしれない。
現にRの父親が、つい最近も
「どうして俺のEメールに返事をくれないんだ?
Rは大変な状況で、援助を必要としてる。
助けてやってくれ!」
とEメールを送って寄越した。
Rが父親にSOSを送りまくっているのか?
もちろん私達は無視しているけれど。

もし本当に家庭内暴力被害者の援助施設に入っているとしたら、
Rの場合、その施設で問題を起こすのは目に見えている。
他の住人ともめるか、施設の管理人ともめるか、
はたまた弁護士を使うだけ使って、最後に牙をむく可能性もある。
オスカー曰く「自滅寸前」だ。


誤解してほしくない。
女性に対するセイフティー・ネットは重要だ。
抜け出せないと信じ込んでいた暴力のループから抜け出し、
新し人生を自分の手で切り開いていく手助けは必須だと思う。
そういった施設や団体がある事は素晴らしい。
しかしこの援助を受ける資格がRにあるのかどうかは、かなり疑問だ。

私が見た限り、Mは家庭内の実権を握っているようには到底見えなかったし、
手や言葉で伴侶を虐待し、コントロールしているような「凶暴さ」は全く感じられなかった。
家庭内暴力は陰湿に、陰で行われる事なのかもしれない。
しかし、そういう場合でも傍から見ていて
妻が夫を恐れているのが、何となくわかるのではないだろうか?
Rの横柄で支配的な態度を見る限り、夫を恐れる素振りは全くなかった。
むしろRの一にらみで黙るような夫、ビクビクしていたのはMであった。
他人の前や、外では妻に服従している夫が、
家の扉を閉めた途端、暴力を振るうという事もあるのだろうか?
私には想像しがたい。

いや、私の意見はどうでもいい。
もし本当にずっと家庭内暴力に苦しんできたのだとしたら、
Rはこの国で暴力夫を切り捨て、新しい生活を始めた。
それなら必死になって働き、娘たちを育ててほしい。
彼女のやり方でどこまで這い上がれるか、やってみろ、と言いたい。
プライドも過去の栄光もすべて捨てて、母親の底力を出せ!


いくら関係したくない、とは言っても、MとRがこの町にいて、
Rの父親、Mの姉や弁護士と、色々な人間から連絡が来る限り、
完全に繋がりを断ち切ることはできない。
「ある日突然、Rが家のドアの前に現れるのではないか?」と妄想してしまう。
息子が怪我をしたり、私達が追突事故にあったのも、
「Rが邪念を送っているからではないか?」と思い、
塩を撒いたり、体に擦りこんだりと、お清めの真似事までした。

ハッキリ言って、移民家族が来て以来、いい事がない。

いっそ『黒幕』になってしまおうか?
いやいや、私が手を汚す必要はない。
神によって、R自身のカルマによって、
いや、そんな崇高なレベルに求めずとも、
彼女の周りの人間が、然るべき事をするだろう。

フロリダ娘みたいな、分別ある人間ばかりじゃないんだよ。

ある移民家族 移住4か月後

悪名高い移民家族について前回書いたのは、8月半ば。
その時点では夫のMが逮捕され、
Rと娘2人と私達は全く連絡を取っていない状態であった。
以来何も書いていなかったので、その後落ち着いたのだと思っていた方が多いかもしれない。
しかし、そうではなかった。


Mは逮捕されて以来3か月間、ずっと塀の中にいる。
好きな時に好きなだけ電話を掛けられるシステムになっているのか、
ちょくちょくコレクト・コールの電話がかかってくる。
毎回15分の通話に15ドル支払っている。
さらに手紙も何度か届いてる。
彼には最初、パブリック・ディフェンダー(日本でいう国選弁護人の様なものだろう)がつき、
やがてイランにいるMの姉が見つけたイラン人の弁護士(フロリダ在住)がついた。
しかし裁判がなかなか進まず、Mは月1回ペースで法廷に呼び出され、
そして次の出頭日がその1カ月後に設定される、
という繰り返しで3か月以上が経過している。
弁護士やMの姉などが連絡してくるので、
オスカーは大体の状況を把握しているらしいのだが、
私はできる限り関係しないように努めている。


連絡が来るのはM側からだけではない。
Rの父親から何度もEメールや電話を受け取っている。
最初の頃は「娘を頼む」
「親友のお前だから恥を忍んで頼んでいる」
という内容だったのが、
Rがアパートの管理人とゴタゴタ(以下参照)を起こして以来、
怒りと叱責を含むメールに代わった。
一度は電話をかけてきて、オスカーに文句を言った挙句、
Rの姉か妹という女性に電話を替わり、
その女性もぎゃーぎゃーわめいてきたらしい。
普通の人間ならそんな態度をとった後には、もう連絡をしてこないと思うのだが、
どうやらRの家族は全員が非常識極まりない人達らしい。
その後もRの父親からのEメールは続き、
「(フロリダ娘)がRと私の孫娘たちを苦しめ続けている。
相当根深い恨みを持っていて、悪魔の様な女だ。
だけど親友のお前(オスカー)は、Rを助けてやってくれるだろう?」
という『フロリダ娘=悪の権化説』へと変化を遂げた。


この糾弾は少々行きすぎだが、身に覚えがない、と言えば嘘になる。
正直、Rを懲らしめてやりたい気持ちはあふれんばかり。
しかしこちらから近づく気はサラサラなく、むしろ絶対に関わりたくない。
そこでふと、思い至った。
そう言えば、彼女が持っている携帯電話は私名義で契約していた。
なぜ、彼女に私の名前を貸し続けなければいけないのか?
今後彼女がしでかすトラブルに巻き込まれないとも限らないではないか!

翌日(9月下旬)携帯電話会社の支店に行き、契約解除の手続きを済ませた。
その夜、オスカーの携帯電話はひっきりなしになり続けた。
Eメールも2通届いた。
もちろん、Rの父親からである。
「娘のライフラインともいえる携帯電話を切るなんて、
非人道的としか言いようがない。
友よ、あの悪魔の様な女(もちろん私)をどうにか説得してくれ。」と書いてある。
さらに彼はなんと、イランにいるオスカーの弟の所にまで押しかけて、
私がRに、どんなにひどい仕打ちをしているかを語って聞かせ、
どうにか助けてくれと頼んだらしい。
もちろん、こちらは完全無視である。

翌朝早く、携帯電話の支店から電話がかかってきた。
Rが来店していて、携帯を自分名義で契約したがっている、と言う。
電話口で、私は重ね重ね店員に確認した。
「今後その携帯電話で発生する料金、そして起こるすべての事は
私とは一切関係ないと約束してくれるんですね?
私は絶対に関わり合いたくないので。
もし未払いの今月分の請求額を全額、今その場で彼女が払ってくれれば、
携帯電話は彼女のものだし、彼女名義で契約することに異存はありません。」
これで私達とRとの関係は完全に切れた。


唯一の心残りはアパートであった。
オスカーの友人・Cさんが、ほぼ善意で貸してくれているので、
私は申し訳ないのと、心配で気が気でなかった。
Mの逮捕後も、家賃は支払っているが問題がないわけではない、と
オスカーから間接的に聞いていた。
しかしCさんも我慢の限界が来たのか、
とうとうRに退去命令を言い渡し、10月下旬、Rはアパートを出た。
そう報告しに来てくれたCさん本人に、ようやくRとのトラブルの全貌を聞かされた。

Cさんも私と同様、「彼女は完全に異常であり、恐ろしい危険人物だ」と言った。
私に対してキレたのと同じ様に、Cさんに対しても
Rが罵詈雑言を吐きまくった事が、3度ほどあったという。
挑発的な態度で、Cさんを怒らせようと思いつく限りの文句を並べたが、
Cさんは内心、「Mのようにはいかないぞ。」と努めて冷静沈着に対応したと言う。
もしCさんがカッとなって喧嘩にでもなっていたら、Rは間違いなく警察に通報し、
「暴力を振るわれた、襲われた」というだろうし、
母親が怖くてしかたない娘二人も、同じ証言をしたら、
無実を証明するのに相当の時間と労力を費やさなければならない。

実際、Rは言葉だけでなく、ほかの方法でもCさんを挑発し続けた。
ある日は
「冷蔵庫が壊れた。中に入っていた食べ物が全部ダメになった。
早く直せ。食べ物も弁償しろ。」とRが電話を掛けてきた。
Cさんがクーラーボックス持参で駆けつけると、
冷蔵庫の扉を留めるボルトが一つ外され、扉が傾いていた。
冷気が逃げ切って、冷蔵庫が壊れるまでフル稼働させていたのだろう。
もちろん、扉はRさんが外したとしか考えらない。
さらには食べ物など全くなく、冷蔵庫は空っぽだった。
別の日にはシンクが詰まったと連絡が入ったので行ってみると、
排水溝内のディスポーザー(生ごみを細かくして流す機械)が
全く機能しないほど、たばこの吸い殻と灰がガチガチに詰まっていた。
極めつけは、立ち退きが決まってから点検に行ったCさんが
壁の穴が開いているのに気づき、「なんだ、この穴は?」と尋ねると、
Rは「あぁ、それは(フロリダ娘)の息子が蹴って作った穴だ」と
言い放ったのだと言う。
Cさんも、後日それを聞いた私たちも、開いた口が塞がらなかった。

「Rはあのアパートを故意に破壊していた」と言うCさん。
台所も、バスルームのシンクも、わざと水を出しっぱなしにして
水浸しにしたとしか考えられないダメージがあるのだという。
カーペットはシミだらけ、家じゅうゴミの袋だらけ。
そんな状態のアパートでRは
「今まで払ったお金を全部返して!
そうでなければ出ていかない!」
とCさんに迫ったのだそうだ。

想像を絶する迷惑住人ぶりだが、私はこの話に非常に納得がいく。
すべての怒りの矛先を、アパートを破壊することに注いで、
彼女の中での精神の平行を保っていたのだろう。
その作業に没頭し、破壊による満足感のおかげで、
娘たちに危害が及ばなかった可能性も高い。
鬼の形相で、冷蔵庫の扉をギリギリと破壊している彼女の姿が
アリアリと見える様だ。

Cさんの話を聞いて、彼女がすんなり出て行ってくれて本当によかった!と心底思った。
アパートの修理についてCさんと話し合っていかなければならないが、
これ以上Cさんに迷惑が掛ける心配はなくなったわけだ。


Rと娘二人はどこへ行ったのか?
関わり合いたくない、と書いておいて、気にしているのはおかしいのだが、
やはり、気になってしまうのである。

そこで少しのリサーチをしたところ、またまた驚きの事実が浮かび上がってきた。

<つづく>

事実は小説より奇なり ~続・ある移民家族の物語~

とんでもない移民家族を迎え、そして一方的に絶交されてから、1か月が経過した。
もちろんこちらから連絡もしていなければ、向こうからも音沙汰なかった。


昨日のことだ。
車屋のオフィスのドアをノックして、M(移民家族・父)が入って来た。
彼は私達に軽く挨拶した後、オスカーに外へ出て話したい、
と促したらしく、二人は出て行った。

「R(移民家族・母)は、あれだけの罵詈雑言を吐いておいて、
今更、旦那を謝らせによこしたのか?」と
イライラしそうになる自分をなだめながら私は、
同時に、今度は何をどこまでお世話しろと言うのだろう?と
暗澹たる気持ちになった。

何時間もしてから、やっとオスカーが戻って来た。
またまた、信じ難いニュースを持って。

Mは、3日前に自宅で妻のRと口論の末、Rの顔面を殴った。
Rは警察に通報し、Mは連行されて留置場で2晩を明かした。
現在、Mは保証金を払って保釈された身であり、
期日未定の裁判に、いづれ出頭しなければならない。
保釈の条件として、被害者・Rに近付いてはいけないし、アパートにも帰れない。
「昨日は公園で野宿した」とオスカーに言ったそうだ。

「もうあの女には我慢できなかった!
俺はさっさとイランに帰ってすぐにでも離婚する!」と言うM。
オスカーはそこで、あの夜、Rが私に言った内容をMに伝えた。
Rが私を蔑む言葉を言った、と聞いて、Mはひどく衝撃を受けたらしい。
Mはあの夜、何度もRに「何を言ったんだ?」と訊いたが、
Rは「何も言っていない」としらを切り通したのだと言う。

M 「じゃあなんであの時、(フロリダ娘)は俺たちに
車に乗って行け、と何度も言ってくれたんだ?
Rがそんな事を言った後に・・・。
恥ずかしくて、もう合わせる顔もない。」

オスカーは複雑な思いだったのだろう。
Rの失態後、分別のある夫なら、こちらと連絡を取って
事態を把握するなり、何かしら行動できたはずなのに、と腹立たしい反面、
Mが野宿をしていると聞いて居たたまれなくなり、
結局、Mに車屋(第2店舗)に泊まっていい、と言ったらしい。
薄々、私はオスカーがそうしているのではないか、と思っていたが、
もう好きなようにさせておいた。


そして翌日(今日)、オスカーがオフィスに行くと、
Mはおらず、置手紙があった。
『自分の物を取りに行ってくる、午後には戻ってくる』と。
前日、勝手にアパートに戻ったら、また捕まるぞ、
と言っておいたのに、と嘆くオスカー。

「Mは今うちの車屋に泊ってること、Rにベラベラ喋っちゃうんじゃない?」
と、私が言ったが、オスカーはお構いなしの素振り。

昼過ぎ、警察官がやってきた。
Mを探していると言う。
その警察官はオスカーの事をよく知っていた様子で、
「自分やパトカーがちょくちょく来ていたら、ビジネスの邪魔になるから
Mが来たら電話して」と、
電話番号を渡してくれ、帰って行った。
しかしなぜ、警察官がMを訪ねて、うちの事務所に来るのだろう?
私が予想した通り、やはりRが警察に連絡したのではないだろうか?


夕方になってもMは戻ってこなかった。
私は裁判所のウェブサイトで、彼のファイルを検索してみた。
すると昨日は1つだけだったファイルは2つに増えていて、
新しい方のファイルには『被疑者拘留中』の文字が。

Mがアパートに現れたので、Rが警察に通報したのだろう。
保釈の条件である「被害者に近付かない」という命令を破ったので、
また逮捕されてしまったに違いない。

オスカーは同情する必要もないと分かっているが、
何だかかわいそうだ、と落ち込んでいた。

確かにRのキレ方と、病的被害妄想を目の当たりにした私も、
Mがこの1か月間、相当な努力で我慢したのだろうと思うので同情もする。
我が家に滞在している短期間にも、Rは誰かをターゲットにして責め、
怒っていなければ生きていられない様子だった。
その攻撃を一身に受けたMは、きっと耐えられなかったのだろう。

しかし、しかしだ。
手を出したのは完全にまずかった。
法的にも、そして戦略的にも。

私はMに望みを託していた。
どうにかしてRを説得するなり、そそのかすなりして、
イランに家族全員で戻る、という選択をしてくれないか、と。

Rは「してやったり!」とばかりに警察に通報しただろう。
英語が全く分からない、喋れないMは完全に不利だ。
右も左もわからないこの国で、2つの余罪を背負ってしまったのだ。
これから裁判にどれくらい時間がかかるのか、
そして判決がどう出るのか、私にはわからない。
しかし、家族揃ってイランへ帰る、と言う道は、ほぼ断たれたのではないだろうか?


夢の国へのフリー・チケットを手にした移民家族。
たった1か月で、父は犯罪者、
母は無職で、この先の生活の目途は立っていない。
娘二人は家庭崩壊を目の当たりにした。

そして今、あの狂った母親の「言葉の虐待」のターゲットとして残ったのも、
娘二人のみ。


私の想像を裏切って裏切って、
毎回より最悪な方向へと展開していく、移民家族の物語。

ここからはどうにかして、
「誇り高きシングルマザーが、新しい土地で身を粉にして働き、
二人の美しい娘を立派に育て上げて幸せになる」
という、ハッピーエンドになってほしい。

移民家族 ~反省と考察~

4回に渡って書き連ねた移民家族の物語
最後に予想だにしなかった展開となり、本当にショックを受けた
母に電話で話を聞いてもらい、
日本人のお友達、アメリカ人のお友達、イラン人のお友達、
イランに住むオスカーの弟にも(オスカーを介してだが)この出来事を聞いてもらい、
そしてブログに書く事で、ようやく気持ちの整理がついた。

ブログに(またMixiやEメールを通じて)コメントを寄せてくださった皆さん、
ありがとうございました!


「もう二度と連絡して来ないで!」と言われた夜以降、彼らからの連絡はない。
ただ、その夜遅くに、Rさんの父親からEメールが届いていた。
(私は、翌日の昼過ぎまで、それに気づかなかったのだが。)
「父親に全部言いつけてやる!」と言っていたRさんが帰宅してすぐに告げ口したのだろうが、
父親はその件に全く言及してもいなければ、私への非難も、謝罪の言葉も何もなかった。
「できる限りの事をしてやってくれ。娘を助けてやってくれ。」
と言うような内容の事だけが、書いてあったそうだ。


あれ以来、駐車場でのシーンを自分の中で何度再生したか知れないが、
自分は間違った事は言っていない、相手に悪いこともしていない、と
確信が持てるので、後ろめたい気持ちはない。

国籍を問わず、色々な人に聞いてもらったが、皆が皆、
「その人はおかしい!」 
「ありえない!」と
口をそろえて言っている。
イラン人女性に話した時でさえ、あまりの無礼さに、彼女は息を飲んでいた。
Rさんには、異国の地で他人の家に暮らさなければならないストレスがあったとは言え、
あの感情的爆発は常軌を逸した言動だったと思う。

ただ、その背景には文化の違い、私達が至らなかった点もあるのではないか?

例えば私が家に一緒にいたり、毎食ご飯を作って食卓に並べなかったこと。
イランでは「お客様」が来たら、最高のもてなしをするのがマナーであり、
それをしなかった私達は歓迎的でなく、むしろ「失礼」だったのかもしれない。
私は「好きな時に自由に食べてね」と言えば十分としていたが、
皿に乗せた料理を相手に押し付けてこそ、
「食事を勧めてくれた」という事になるのかもしれない。

イランには「ターロフ」と言う社交辞令の様な文化がある。
ゲストはお茶を勧められたら遠慮して断り、
ホストは断られても勧めて勧めて、最後に出す、と言うのは、
双方がターロフを使っている典型的な例。
日本文化にもこれに似通ったやりとりはあると思うが、
日本の遠慮が相手の気持ちを読んで、汲み取るのに対し、
イランはこれを言語化してアピール、アピールしてなんぼ、と言う気がする。
だからRさんに対しても、
「あなたが来てくれて嬉しいわ、ずっといてね」とか、
「何か不自由なことはない?あったら遠慮せずに言ってね」とか、
ターロフ・シャワーを浴びせなかった私は気の利かない女だったのだろう。

そしてあの、「私の男に触らないで」について。
これは私にとって、完全な不意打ちだったが、
イラン人にとってはある程度、常識なのかもしれない。
女性が体を布で覆って、髪や肌を見せてはいけない、という戒律にしたがって生きていれば、
自然と体を神聖化して捉えるだろうし、
自由恋愛がそう簡単にできない社会では、
女性にとって夫は人生でたった一人の伴侶、つまり「自分の男」であるはずだ。
だから他の女が見るのも、触れるのも気に入らない、という気持ちは
多かれ少なかれ、彼女たちにあるものなのではないか?

そう考えた時、今まで自分がイランへ4度も赴き、
平気な顔で親類縁者の、見ず知らずの男性に握手の手を差し出していた事を思い出し、
今さら、冷や汗が出る思いであった。
握手をしてくれる人もいれば、中には自分の胸に手を当てて会釈をし、
私の手に触れなかった男性もいた。
その度に私は「敬意を払ってくれている」と自分の都合のいい様に解釈していた。
でも私が気づいていなかっただけで、実は
男性の後ろには、歯ぎしりする奥さんが私を密かに睨んでいたのではないか?
男性も「ホイホイ手を出しやがって、軽い女だ」と思っていたのではないか?
私には誘惑する気も、無礼を働く気もなかったけれど、
暗黙のルールを知らないばっかりに、多少なりとも相手に不快な思いをさせていたのではないか?

そんな事を考え始めると、自分がイランを、イラン人を分かっている様な気になっていたのが
とんでもない思い込みだった気がして来た。
オスカーの家族と心が通じている様に思っていた自分は、
本当は彼女や彼らに多大な迷惑を掛けていたのかも知れない。
皆笑顔で良くしてくれていたが、私の知らないところでは
「とんでもない世間知らずが来たもんだ!」と、
頭を抱えていたかもしれない。

オスカーにその不安を話すと、一笑に付されてしまったが、
アメリカに長年住んでいるオスカーの感覚もズレまくっているとしたらどうだろう?
2つの世界の常識は、全く別の物なのだから!
そして「私の常識」が、「皆の常識」と同じとは限らないのだから!


人間不信、自分不信になりそうである。
しかし、そういって投げ出してしまうわけにはいかない。
たった一人の、あの狂った女に、自分の人間観を崩されるほど、
私と、私の大切な人達との関係は浅くはないのだ!


できる限りのお手伝いをしようと努めていたら罵詈雑言を浴びせられた、
その日の夜に、オスカーはこう言った。
「それでも俺は諦めない。
人を助けるのはいい事だし、俺はそれが好きなんだ。
こういう変なヤツもいるかもしれないけど、
だからってもう人を助けるのは金輪際なし、って諦める気はない。」
それには私も同感なのだ。
生い立ちも、世代も、信仰も、全然違う私達二人だけれど、
最初から、そして今も、この人助けを良しとする価値観はピッタリ合うのだ。

オスカーが恩を仇で返された事など、数知れず。
私はこんな事一度くらいで、ピーピー鳴いているなんて、
まだまだひよっこだ。


最悪の中にも希望は必ずある。
この非生産的な状況から、素敵な事が起こった。
それは長男とオスカーの距離が一気に縮まった事。
オスカーは長男だからそうしていたのか、彼に厳しく、
今までほとんど一緒に行動することもなかった。
長男も、私には文句もワガママも言えるくせに、
「オスカーに言いなよ!」と私が言うと、全く言えないでいた。
ずっと長い間、二人の間には溝というか、距離があるなぁ、と感じていた私は、
どうにかして二人が歩み寄れないものか、と思っていた。
それが今回移民家族が来て、私が彼らをあちこちに連れて走り回っている間、
同行したくなかったばっかりに、長男はオスカーと一緒にいる、と言いだした。
そしてオスカーの仕事を手伝うようになった。
長男はずっと空手をしてきて、自宅でもちょくちょく筋トレをしている様な子なので、
私と同じくらいの、いや、もしかしたら私を凌ぐほどの力持ちになっている。
オスカーは長男に手伝いをさせてみて初めて、そのパワーに気づいたようだ。
その長男を「認めた」感が、始終伝わってくるのだ。
そして何より、それを長男が感じている事が、私にも感じられる。
親子の妙、こんな事で好転するとは!


親子と言えば、いまだに一つだけ、気がかりになっている事がある。
移民家族の双子の女の子である。
彼女たちは親の勝手で全く違う異国の地に連れてこられ、
あの母親の癇癪のせいで、夜の駐車場に取り残された。
一緒に過ごしたのは短い間だったけれど、11歳の彼女たちが、
必要以上に母親に気を遣って暮らしているのが気になった。

移民家族が滞在している間、丁度手に入った本を読んでいた。
それが西加奈子作、『サラバ!』上・下巻である。
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(写真:ブクログより booklog.jp/users/gnvbunko

この物語も、イランで生まれた日本人の主人公が、
イラン→日本→エジプト→日本と、
両親に連れまわされる。
両親の人生に、子どもの人生が翻弄される。
目の前にいる双子の子ども達を見ていると、
そう思わずにはいられなかった。
良くも悪くも、親は子どもの人生を決めてしまう。
それを強く、感じた。

西加奈子の本は、必ず救いがあり、
最後に力強く 「それでも信じて行こう!」と、言ってくれている様な気がする。

選択肢のなかった子どもが、大人になって、
もがき苦しんでも、それでも何かを見つけて「信じること」ができればいいと思う。

あの双子が、どうか、強く生きて行けますように。