骨折

6月4日に学校が終わり、8月半ばまで続く長い夏休みが始まった。
子どもたちは開放感に浮かれ、大喜びだったが
1週間もすると
「ヒマだー」「ヒマだー」
の合唱に変わった。

長男はバスケットボールをしたり、
友達に誘われてショッピングモールや市営プールへと、
私の送り迎え付きで行っていた。
しかし次男はやることがなく、
結局Youtubeはしごからの夜更かし→朝起きれない→ゴロゴロ の悪循環。

だらけた生活に終止符を打つべく、6月最後の週は
子どもたち2人共スポーツキャンプに参加した。
午前中はチームスポーツ、午後にはプールへ、
と一日中活動的に過ごし、夜はクタクタになるので9時には就寝。
やっと生活リズムが整ってきたかな?と思った矢先・・・

長男が足首を骨折。

土曜日に友達と一緒にバスケットボールをしに行き、
ふざけてトランポリンで前転をして着地に失敗したらしい。
バキッ!という聞いたことのない音がして、相当痛かった。
変な方向に曲がった足を自分で直した。
スポーツ施設係員からの連絡を受けて迎えにいったら、
痛みに顔を歪めながら、長男がそう説明した。
最初は脱臼かと思ったが、心配だったので
救急センターに連れて行った。

2年前の悪夢が蘇る・・・

あの時と同じ救急センターで、とにかく待たされた。
レントゲンを2枚撮って骨が折れているとわかった。
「手術をする必要があるかどうか、専門家のいる病院へ搬送して
レントゲン写真を見てもらわなければならない」
と言われ、長男は救急車(らしいが、私は見ていない)、
私は自分の車で別の病院の小児科救急センターへ。

そこでも延々待たされ、ようやく整形外科の先生がやって来て
二人がかりでギプスをはめてくれた。
fracture
今のところ手術は必要はないと思うが、
1週間後にもう一度、整形外科でレントゲンを撮り、
今後の方針を決めよう、と言われた。

朝9時頃、軽い朝食を食べてから一切食べず、
骨が折れた午後1時から痛み止めを一度服用したのみ。
よく我慢したと思う。
ようやく開放されたのは夜9時に近かった。

「首の痛みに比べたら、どうってことないよ」

たっぷり1年かかった闘病とリハビリの日々が辛かった分だけ、
また再び動けなくなっても、あれに比べたら大丈夫、と
言えるくらい強くなっている。
精神的にも相当参ってしまった前回とは違い、
今回は回復に向かって前向きだ。

長男のバスケットボール1年目

2016年夏、なぜか突然興味をもって、
バスケットボールを始めた長男。
最初は一人で黙々とボールをドリブル、ハンドリング、
またランニングや筋トレなどの基礎トレーニングをやっていた。
その真剣さにほだされたのか、バスケットゴールがほしいといった時、
オスカーは二つ返事でOKしてくれた。
それから毎日、学校から戻るとゴールの所で
汗だくになるまでひたすらシュートしたり、走り回っている。

自営業の車屋には2人の整備工が務めてくれている。
その一人、ホゼはとても無口で、もう12年くらい働いてくれているのだが、
Hi! Bye! などの挨拶以外で交わした言葉は、本当に数えるほど。
プエルトリコ人で英語があまり得意でない、というだけでなく、
仕事も早いし、いつもすごい速さで歩いているので、
(オスカー大絶賛の働きぶり!)
私などにとっては、近寄りがたい雰囲気たっぷりなのだ。
そんな寡黙なホゼが、ある日1人でバスケットをする長男から
突然ボールを奪い、体当たりでマンツーマン対決を挑んできた。
ホゼは身長がかなり高く、屈強な大人だ。
もちろん長男は圧倒され、しかも本気で押されたり、
なぎ倒されたりで泥だらけになり、ふくれっ面で戻ってくることもあった。
しかし仕事が終わって疲れ切っているはずのホゼが
ちょくちょく相手になってくれたお陰で、
日を追うごとに長男の腕は上がっていった。
20点先取の試合で長男が勝ってしまうと、
More! とホゼが怒鳴り、また長男が30点に到達すると、
More! と掛け声がかかって、40点、50点・・・
「最後、ホゼは立てなくなってたよ!」
と満面の笑みで長男が戻って来るようになった。
(1ゴール1点でやっている試合である。
朝8時から昼休みも取らずに4時まで働いてから
ここまで動けるホゼ、すでに超人。)

中学校ではバスケットのチームがあるとのことで、
長男は入部したい一心で練習していたのだが、
15人定員の所になんと200人以上の生徒が入部を希望。
入部テスト当日は体育館を埋め尽くすほど群れており、
まだまだ初心者の長男はもちろん入部できなかった。
(後で知ったことだが、長男の通う中学は
ここ数年、毎年市内ナンバー1に輝いている強豪校だった!)

そこで初心者でも入れる市が運営するバスケットチームに入部。
年齢で分けられており、似たり寄ったりの体格の子供たちが10人。
そのうち女の子は1人。
アジア系は我が子1人。
白人も1人。
他はすべて黒人の男の子達だ。
やはりバスケットボールは黒人の少年達にとって人気のスポーツ。
NBAに入るのを夢見ている子も少なくないのだろう。
長男のチームメイト達も、バスケ経験者ばかりの様子。
小さい頃からストリートバスケットで鍛えられているのか、
パス回しもお手の物だし、何より思い切りがいい。
見ていてドキリとする様な体当たりプレーが多く、
跳躍力、瞬発力、どれをとっても長男がついて行けるのか・・・と
心配になるほどだ。
しかし、黙々と練習していた長男は、技術面ではなんと!
引けを取らないどころか、チームメイトよりも上手に
ボールを頭の周り、腰の周り、膝の周りなどでクルクル回したり、
両足の周りを8の字にヒュンヒュン回してる。
これには親の私がビックリ!

コーチになってくれたのは地元高校の教頭先生で、
その学校でバスケ部のアシスタント・コーチをしている黒人の男性。
自分も高校、大学とバスケをやっていた、との事で、
ボールさばきも上手いし、子供一人ひとりの個性や長所を見抜き、
的確なポジションをあてがって、一生懸命指導してくれた。
そしてコーチのお父さんも補助役として練習に参加してくれた。
このおじいちゃん、30年以上バスケのコーチをしているそう。
最初は動きに迷いがあった長男を、時にチームから引き離し、
別のゴールの下でマンツーマンレッスンをしてくれたり、
帰る前には長男を呼んで「次回までにこの練習をしておきなさい」と
個人的に課題を出してくれたりと、とにかく目にかけてくれた。
「あの子はいい子だ。よくいう事を聞く。素直ないい子だ。」
と、私にも何度も言ってくれた。

個性的で元気のいいチームメイトと約2か月半の間、
週2回の練習と、毎週土曜日の対外試合をやった。
近隣の小さな町まで遠征に出掛けるのも新鮮で、
子ども達より白熱する親たちの応援合戦も面白かったし、
試合ごとに負けても勝っても、尊い経験を重ねる長男は、
みるみる成長していくようだった。
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シーズンが終わった翌週末、父兄の企画でコーチを招いて、
公園でピザパーティーをした。
最後にコーチがメンバー一人ひとりにコメントをくれた。
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「このプレーヤーは誰より一生懸命で、練習でも試合でも、
来た時にはいつも準備万端、全力で臨んでいた。
チームが負けていたって平静、クールだ。
この先も同じ様に真面目に練習に励めば、
きっと明るい未来が待ってるに違いない!」
というのが長男への言葉。
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コーチと

きっとまた来年、バスケットのシーズンになれば、
ここにいる子供たちにも再会できるかもしれない。
皆、それぞれ魅力的で、ここには書き尽くせないくらい、
私自身の中にも強烈な印象を残してくれた子供たち。
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少年たちよ、大志を抱け!!

2016年度 新学期

8月15日、2016年新学期が始まった。
長男は6年生、次男は4年生だ。
アメリカは6年生からミドルスクール、中学校にあがる。
過去4年間兄弟一緒に通った小学校に、次男は今年から1人で登校する。
とは言っても車で母が送迎しているので、1人で通学路を歩くわけではないのだが。

こちらの学校にはMeet the Teacher Dayというものがあり、
新学期が始まる数日前に、家族と一緒に担任の先生に会いに行く。
クラスのメンバーも張り出されているので、去年仲良くしていた○○くんと一緒だ!とか
この先生に当たっちゃった!などど、ひと盛り上がりすることになる。
次男は今回苦手な先生に当たってしまい、微妙な表情であった。
しかし学校初日を終えて帰ってきた際には明るい表情で
「先生はね、宿題が嫌いなんだって!
テストも嫌いだけどフロリダ州の決まりだから仕方なく子供たちをテストするんだって。」と、
しっかりと味方意識を植え付けられていた。
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長男は中学に進み、人生初めてのスクールバス登校が始まった。
学校指定の3インチ(7.6㎝)もある分厚いバインダーを入れて、
ずっしり重いバックパックをしょって歩いていたら、
バスが10分も早く来て、慌てて猛ダッシュ!
ところがその後、バスは迂回に次ぐ迂回をし、
学校とは逆方向へ曲がるたびに隣に座った8年生は悪態をつきまくり、
運転手のおばちゃんは、どこぞの教会の駐車場に乗り入れる始末。
どうやらほかの路線で故障したスクールバスが出てしまい、
長男を乗せたバスが急遽回って子どもたちを拾ったらしいのだが、
その結果、35分も遅刻して学校に到着。

中学校は教科ごとに先生が変わり、その度に教室を移動しなければならない。
新学期直前のMeet the Teacher Dayでは、まず担任の先生から地図を渡され、
1時間目から6時間目までの教室に1~6までの番号を振る作業をさせられた。
そのあと実際に1日のシミュレーションとして、番号通り順番に動いてみた。
各教室には先生が待っていて、持ち物リストの紙を渡され、挨拶をする。
小学校では特別教科以外は教室を動かないし、
移動の際には先生に引率されて一列で動いていたので、この単独行動は初めてだ。
長男は新学期初日、2限から3限の移動に失敗したらしい。
始業と共に先生が開口一番、
「このクラスは全員、去年のテストで5段階評価1かそれ以下の人です。
今年はみっちり!頑張ってもらわなければなりません!」
「え!? 僕は1以下だったの?!」と、一瞬長男はパニックに陥り、
そんなはずはない、と思い直して、慌てて次の教室へ移動したそうだ。
いくつかのクラスには同じ小学校からの同級生がいて、
見知った顔のメンバーと一緒にカフェテリアでランチを食べたり、
緊張と興奮の連続!な初日であったらしい。

それだけでも十分刺激的だったと思うのだが、
長男はこの日、学校から家までの4マイル(約6.4㎞)を歩いて帰ってきた。
だいぶ距離はあるし、バックパックは重いし、
「初日だけでも、ルートを把握するためにバスで帰ってきたら?」
と何度か言ったのだが、本人はどうしてもやってみたかったらしい。
途中で雷が鳴りだし、小雨も降ってきて心配になったが、
長男の固い意思が伝わってきたので、迎えにも行かなかった。
2時間近くかかって帰宅後、「遠かったー!もう絶対やらない!」と言いつつも、
長男の瞳はアドレナリン・ラッシュでキラキラ輝いていた。

自分の遠い記憶の中で強烈に印象に残っている場面が幾つかある。
小学校に上がる前に初めて一人で県道を行ったこと。
小学校高学年になって、今まで行ったことのない遠い場所まで
友達と自転車で探検しに行き、この道とこの道が繋がるんだ!と発見したこと。
高校生の時、いつもは自転車→電車→バスで1時間半かけて登校していた道のりを、
衝動的に自転車で駆け抜けたこと。
どれも自分の行動範囲が飛躍的に広がった瞬間だ。
その時に強烈に感じた、地面は繋がっているという事実。
そして自分の足で、その繋がりを踏みしめて行けるという事実。
人よりも用心深く、外へ出ていくことが怖かった私は、
今故郷から遠く離れた、地球の裏側で暮らしている。
それでも手押し信号を押して、初めて一人で道を渡ったあの日のドキドキと、
渡った後の高揚感は、昨日のことのように鮮明に覚えている。

長男が歩いた道は空手道場に通う道と同じで、
7年間ほぼ週2回~5回は車で往復していた道。
歩いてみて初めて、それがとても遠いということ、
そして起伏が激しく、山登りをしている様だということ、
自分で体験してみて初めて、その道となりがわかった様だ。

どこまでもいける!道は繋がっている!

そんな風に、思ったかどうかは知らないが、
怖がりだった私が少しづつ世界を広げていったように、
長男もどこまでも世界を広げて、どこにでも、どこまででも行ってほしい。

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この夏でグンと成長した長男は、自分の部屋が欲しいと言ったり、
スポーツ選手が考案した(ただ名前を貸しただけ?)お高い靴を欲しがったり、
すっかりティーン化している。

6月までは、こんな風に普通の中学生になれるのか、全然見通しが立たなかった。
この2か月で彼が劇的に変わったのは、イラン帰郷をしていたからだ。
次回から少しづつ、そのイラン旅行記を書こうと思う。

暗澹たる日々

ブログが2か月近く途絶えてしまった。

前回の更新日は9月6日。
その2日後に長男が空手の組手練習中に怪我をした。
頭を強く突かれ、首が後ろにのけぞった形となり、
転倒も、気絶もしなかったものの、
心配だったので救急センターに連れて行った。
そこで頸椎ねんざ、いわゆるムチウチの様なものと診断された。

その2日後。
帰宅途中、信号待ちをしていると後ろからガツン!と衝撃が。
追突事故であった。
子ども達二人と私が乗っていたピックアップトラックは、
後部のバンパーがだいぶ内側に押し込まれ、
ぶつかって来た中年男性の乗用車は、
前バンパーが壊れ、ラジエーターまでが損傷していた。
それほど強い衝撃とは感じなかったものの、
ダメージを見る限りそこそこ強く当たったらしいな・・・。
そんな風に思っていたのだが、
1週間、2週間と経つうちに、私の背中や首がおかしくなってきた。

この間、長男は首が痛いと言い続けた。
怪我の翌週と翌翌週には小児科へ行き、3週目には形成外科へも行った。
しかし安静にしろ、鎮痛剤を飲め、と言われて追い払われる。
フィジカル・セラピーに紹介状を書いてくれたけれど、
それも怪我後7週目になってようやく初回の予約が取れた。

4週目から私と息子揃って、週3回カイロプラクテックに通い始めた。
カイロプラクテックでは、首の骨が真っ直ぐになってしまっている事、
それによって神経が圧迫され、腕や指が正常に反応しなくなっている事など、
説明されて、毎回首と背中をガキッ!ゴリッ!と調整してもらう。
現在8週目に入る所で、ようやく通院が週2回に減った。

しかし長男は痛いと言い続ける。
痛みに対しては、アイスパックで冷やす以外特に指示がない状態。
なので鍼に連れて行くことにした。
私がいつも行く中国人の鍼師は運が悪く、長期旅行中だったので、
知人の紹介で別の鍼師にかかった。
長男は鍼を刺す、という事にかなりビビっていたが、
「今の首の痛さに比べたら何されてもいいでしょ?」と言うと
「うん」という返事が返って来た。
結果初めて行った鍼師は、まったく鍼が触れている事すら感じないほどの
マイルドな処置だった。
でもこの時まで、見るからに元気がなかった長男に、
少し笑顔が戻り、エネルギーが戻った様子だったので、
怪我の場所で滞っていた気が流れたのかな?と
素人なりに思っていた。

それでも痛みは毎日、常にあると言う長男。
そこで私がよく掛かっている中国人の女鍼師に連れて行った。
1軒目の鍼が全く痛くなかったので、こちらもすんなり行ってくれたのだが、
最初のカッピングから相当痛かったらしく、
その後背中、首、そして頭にまで鍼を刺されて、
1時間半治療をしてもらった。
後でブーブー文句を言われたものの、長男、よく頑張った。
そして「もう2回来なさい」と言われて、
嫌々ながらも毎回鍼治療を受けている長男。
それだけ首の痛みがつらいのだなぁ、と思う。

明日で長男の怪我以来、8週間が経つ。
私の首も完全に良くなったとは感じない。
肩こりの酷い感じと、首と背中に寝違えたような痛み、
そしてそれらから来る頭痛、腰痛、疲れ・・・
長男も言葉では「痛い」としか表現できないけれど、
それら様々な症状が重なって、とにかくつらいのだと思う。

活発な子どもが運動もできず、
「痛くなったら嫌だから」と外出もしたがらない。
学校の2泊3日のキャンプ、ハロウィーンなどの
楽しいはずのイベントも全部やらずにいる。
気分的に沈んでしまっているのはわかるので、
どうにか元気づけようと、こちらも言葉を選び、色々と策を練る。

1日、1日、辛抱の日々。

次男の成長

3月に8つになった次男。
本人の希望で小さなお誕生会を庭で開催。
人間の周りを犬、クジャク、ニワトリが始終ウロウロするという、
動物園の様な環境であったが、
来てくれた皆さんと楽しくピクニック形式でお祝いできた。
次男も嬉しそうだった。

その次男の絵が選ばれて、市の施設に飾られることになった。
大勢の中の一つではあるが、なかなかの出来栄え。
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本人も誇らしげである。
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いわゆる切り絵的な手法で、ポップな仕上がり。
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賞状を渡してくれたのはアートの担任の先生。

長男の絵も2度選ばれたので、この授賞式に参加するのは3回目。
アートの喜びと楽しさをずっと忘れずに、
生活の一部として成長していってほしいと思う。