勝つためならば

日曜日。
お昼過ぎに家族で海に出掛けた。
片道2時間弱の道のり、
お気に入りの音楽を聴きながらのドライブ。

行きの車の中で、長男の空手大会の話から、
勝ち・負けについて熱く語ることとなった。

旦那は学生の頃からラケットポールに熱中し、
現在も週3回のペースで仲間と汗を流している。
学生時代は大学内や、州の大会の常連だったそうで、
トロフィーも沢山あるが、負ける悔しさも数知れず味わってきた。

彼の逸話の一つとして、もう耳だこができるほど聞いた話。
カンザス州大会の決勝戦。
イヤミで嫌いな対戦相手と1点差で負けそうになっていた。
勝負はこの一球にかかっている。
旦那はゴムボールをそっと汗で濡らし、力いっぱいサーブした。
ボールはスキッドして高く上がらず、見事なサービスエースが決まった。
そして旦那は優勝した、という話である。

これを聞いて、私はどうしても黙っていられない。
「でもそれって、ズルでしょ。
ズルしてまで勝ってもうれしくないでしょ?」
「いや、最高にうれしい」と旦那。
「たとえ勝っても、自分がズルしたってわかっていたら、
私だったら全然うれしくないし、
それは自分に負けたってことだよ。」
「そうだよ!勝ってもうれしくないよ!」と長男も合いの手を入れる。


ペルシャ語に「ザランギ」という言葉がある。
長い列に割り込むのに頭を働かせて、10人飛ばして前に出た、
本当はルール違反なのだけど、頓知を利かせてすり抜けた、
なんて時に、
「すごいなぁ」
「うまいこと、やるなぁ」
というニュアンスで使われる言葉である。

日本に初めて旦那を連れて行った時、
駅の自動改札にドドッと押し寄せる人波を見て彼は、
「あれだけの人ごみなら、お金を払わなくても簡単に出てこられるだろう」
と、早速「ザランギ」を働かせていた。

私が思いもつかないような、きわどい方法を思いついて、
言い逃れたり、割引を受けたりすることもしばしばで、
「この人はどういう思考回路をしているのか」と思わずにいられない。
しかしそれは悪のあるものではなく、おもわずニヤリとしてしまうような、
可愛げのあるズル、いや、「ザランギ」なのだ。
ボールにつけた汗、しかり。


そんな旦那と付き合っていて、
自分のガチガチな真っ直ぐさを意識するようになった。
「自分の」というより、日本人の気質と言っていい気がする。
「間違ったこと」や「ズル」を嫌い、
常にルールに従い、
誰にもわからない部分であっても、
良心の呵責が誘惑にブレーキをかける。
そういった「道徳心」「正義感」がとても強いのだ。

今年3月に起きた大地震・津波の後、
世界中のメディアがそろって褒め称えたのは、
日本人の品行方正さと秩序だった。
アメリカで同規模の大災害が起きれば、
人々は奪い合い、殺しあってでも
自分の食料や生活用品を確保していたのではないか。

日本でも殺人があり、カンニングがあり、割り込みがある。
しかし殆どの人間が、良心の定規を片手に、
時に「クソ」がつくほどまじめに生きている。
そんな母国が誇らしく、
忘れてはいけない「日本人らしさ」だと思う。


「ザランギ」を利かせてアクロバティックに生きる父と、
「クソ真面目」を美徳とする母を持つ息子たち。

さて、どんな人間に育つのか。