砂漠人 今夜テレビ出演!

ブログ『砂漠人』の作者であるKumokiさんとご主人・アビ氏が今夜テレビに登場

camel え!!


日本の皆さま、お見逃しなく!!


私が砂漠を訪ねた様子、もう一度読み直したい方はこちらから。

イラン旅行記16 ~アッシュパーティー~

イラン滞在最終日。
パルビンが作ってくれているのは
ashe
『アッシュ』

私の大好物の一つである。
イランの煮込みうどんとでも言ったらいいだろうか?
ハーブと豆の沢山入ったスープに、
うどんそっくりの麺を入れて煮たもの。

大鍋に大量のアッシュを作って、出かけた先は他でもない、
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ベヘルーズのサクランボ園。

今回もかなり大量のサクランボを収穫。
ashe party4

その後は皆でアッシュを食べた。
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このリンゴの木も鈴なり
apple tree

皆が口々に
「なんで今回はこんなにすぐ帰っちゃうの?」
「もう少しいればいいのに・・・」
と言ってくれる。

でもそう言われているうちが花。

お世話してくれる女性陣は疲れ切るだろうし、
旦那と兄弟が喧嘩を始めるのも時間の問題。


帰国便の出発時間は早朝5時。
皆がもう一度、義父母の家に挨拶に来てくれ、
一緒に夕食を食べ、最後の最後まで子ども達と遊んでくれ、
夜中の1時にお別れを言った。

皆泣いていた。
義父までが、布団を被って眠ったふりをしながら泣いていた。
本当に人情にあふれた人達なのだ。


地球の裏側に嫁いで、そのまた反対側に大家族ができて、
私は本当に幸せ者だなぁ、と心から思う。

また来るね!
それまで皆、元気でね!

<イラン旅行記 完>

イラン旅行記15 ~バザールで買い物~

帰国日も近づき、ベヘルーズ夫婦と一緒に、
恒例のお土産の買い出しに出かけることになった。
ピスタチオやお菓子、乾燥果物などの食べ物ばかりを
大きなスーツケース3個に詰められるだけ詰めて帰ってくる。
(残り1つのスーツケースには衣類・その他もろもろ。)

毎回買い出しに行くのはバザールと決まっている。
バザールの近辺には普通車は乗り入れることができず、
タクシーを利用しなければならない。
が、今回は初めて地下鉄で行くことになった。
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改札の手前
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駅の壁画
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電車がやって来た

男女分かれて乗るのかと思ったが、一緒だった。
だんだん車内が混んできて、他人と密着状態になったので、
不思議に思って訊いてみると、やはり女性専用の車両もあるそうだ。

地下鉄を降りてバザールまで歩く。
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この自転車はレンタル? 駐輪場ならすごい

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雑誌やお菓子などを売っている道端の売店

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『カレパチェ(羊の頭スープ)』のお店

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人もお店も多くなって来た(建物の上の壁画も素敵)

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日本のパン粉と韓国語の何か(粉?)が売ってる!!!

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観賞用の植物、竹も人気がある

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銀行の建物もイランぽい

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こだわりすぎの専門店1 ビニール袋屋さん

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こだわりすぎの専門店2 アルミフォイル屋さん

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ジュース屋さん 
メロン、マンゴー、ニンジンがあり、本物の果物を使っているので美味しい。
よく見ていたら、アイスクリームらしきものを入れていた。
スムージーみたい??

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道端に品物を広げている人も沢山いる

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Gyro屋さん 
このお肉をそぎ取って、パンに挟んで売っている

ようやく、バザールに到着。
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いつも行くのがこのお店

お店に入る前に私と子ども達は黙っているように、
と、旦那に念を押された。
外国人だと分かるとぼったくられるからだそう。
少々緊張気味で入店。

でも毎回、お喋りの旦那のせいで
アメリカから来ているとバレて、
それでも同じ値段で買えている様子なのだが。
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見慣れたおっちゃんが勢ぞろいで懐かしい
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ナッツの種類も豊富

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スパイス屋さん

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見とれてしまうような鮮やかな色

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何度来ても、この独特な雰囲気がたまらない

帰りはタクシーを捕まえる。
6人とトランクに入りきらない荷物であるにも関わらず、
激安の値段で交渉するベヘルーズ。
最初の運ちゃん2人には、呆れられたけれど、
3人目にして、ものすごく人の良い運ちゃんに遭遇。
大量の荷物と共に無事全員乗って帰ってくることができた。

このタクシーが安い秘密は・・・近道!
車一台がギリギリ通れるような路地裏を通って
かなりの時間と距離、そしてガソリンの節約。
べた褒めするベヘルーズ。
誇らしげな運ちゃん。

それにしてもこの運ちゃん、私達が乗り込む時に
助手席に座った義弟の膝の上に長男が乗ろうとしたら
「困る!警察に罰金とられるよ!」と大慌てだった。
しかし、後部座席(定員3人)に大人3人、子ども2人が
ぎゅうぎゅう詰めで乗っていくのは全然問題ないらしい。
(イラン滞在中、5人乗りの車に8人以下で乗った事がない。)

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帰り道の車窓から壁画をパチリ

イラン旅行記14 ~義弟の新居~

義弟のアミン宅へ遊びに行った。
彼の家はテヘラン中心部から30分ほど離れた場所にある。

以前は団地の様な雰囲気の所に住んでいたのだが、
少し前に新築の家を買ったらしい。
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オープンキッチンのモダンなデザイン

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娘のキミアはバイオリンを習っている

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夕食の風景

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(左から)ささみフライ ナス料理 フセンジュン

『フセンジュン』はイラン料理の中でも個性的だ。
鶏肉の煮込みで、ソースには、
ザクロ・ペースト(かなり濃厚で酸味が強い)と
すり潰したクルミをたっぷり使う。


アミンの奥さんは銀行で働くキャリアウーマンである。
共働きなので羽振りがいいのだろう。
彼女の服はいつも素敵だし、
家の中も豪華なデコレーションでいっぱい。

新居はイランでは珍しい木のフローリングだった。
(タイル張りの家が圧倒的に多い。)
冷蔵庫や洗濯機も、アメリカと同じデザインで、
しかも最新モデルのものが入っていた。
フロリダの我が家よりずーっといい暮らし振りだ。

経済制裁を受けている昨今、イラン国民は
衣食住に困っているのではないか、と想像されがちだが、
一生懸命働いて、優雅な暮らしをしたければ、
できる社会ではあるようだ。

しかし皆、よく働く。
薬局経営の義弟や、他の甥っ子を見ていても、
朝は7時頃に家を出て、帰宅は夜中近いので、
一日中仕事と言っても過言ではない。
それでサクランボ果樹園を買ったり、
新居に移り住んだり、新車を買ったりと、
それぞれが自分なりのステイタス・シンボルを手に入れ、
また気合を入れて仕事に励んでいる様子だ。


決して楽ではないだろうけど、皆元気なんだよなー。
2,3年置きに帰郷する私達がいる時に、はしゃいでいるだけなのだろうか?

イラン旅行記13 ~遊園地と義兄の家~

10年くらい前に行った遊園地。
今回も甥っ子が連れて行ってくれた。

まったく同じジェットコースターや観覧車が、
10年の時を経て老朽化・・・いや、年季が入っていて、
違う意味でものすごく怖い乗り物ばかりだった。

せめてペンキくらい塗りなおしてボロを隠せばいいのに、
錆色が見えていても全く気にしている人、ナシ。
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以前はあまり乗れるものがなかった子ども達。
今回はかなり楽しんでいた。
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遊園地の後は、義兄の家を訪ねた。
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夕食の風景
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イランのミートボール『クフテ』
かなり大きく、野球ボールくらいのサイズ。
肉の他に、香り高いハーブやご飯が隠れている。

日替わりで私達を招待してくれる義理の姉妹たち。
何を作るか相談し、メニューがかぶらないように
工夫してくれていた。
それぞれの得意料理もあるのだろうが、
何ともやさしい心遣い。


義兄と旦那は、あまり仲が良くない。
3年前の帰郷で喧嘩別れとなり、
「もう2度とイランなんか帰らん!」と
帰りの飛行機の中で始まり、
その後2年ほど言い続けたので、
今回は義兄との再会がどうなるか!?と
内心ハラハラしていた。

なので義兄が義母の家に居候している私達を
訪ねて来てくれた時には、本当にホッとした。
義兄と旦那は普通に話して、険悪さもなく再会を果たし、
あぁ、よかった!と嬉しくなった。

それが表情に出ていたからだろう。
帰り際に、義兄のお嫁さんが私に近付いてきて、
熱烈に私の手を握り、
「あなたはいい人ね!ほんっとうにいい人!!」と
涙ぐまんばかりの表情。
その瞬間、彼女の気苦労を思い(義兄はなかなか気難しい人だから)、
きっと私の何倍も二人の再会を願って、
同時に心配していたのだ、と悟り、私も負けずと
「あなたが!いい人!!」と手を握り返した。

イラン旅行記12 ~そしてまた宴会~

テヘランに戻って息つく間もなく、また連日連夜のお呼ばれが待っていた。

この日は義弟・ベヘルーズの奥さん(つまり義妹)・パルビンの
お母さん・オンシアさんのお宅へ。
パルビンはベヘルーズの従妹でもある。
つまり旦那の従妹でもある。
パルビンには弟が2人、妹が3人いて、それぞれが
結婚し、彼らの奥さんや旦那さんが集まって来て大人数になる。

初めてイランへ行った時には、毎日親戚一同に囲まれ、
しかも皆が「私の名前は?私は誰の兄妹?」とテストしたがるので、
なかなか大変な思いをしたものだ。
そうして鍛えられたお陰で、名前や関係を一通り覚え、
4回目ともなれば再会が嬉しい。

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パルビンの妹の娘と、もう一人の妹の息子と遊ぶ息子たち。
お互いの話す言葉はわからなくても、遊び始めたら結構盛り上がっていた。

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イラン女性は掘りの深い美人揃い。

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パルビンの弟と腕相撲するうちの旦那。
見よ!この力こぶ!!

空手をしている長男は、6歳の頃から
「早く腹筋が6つに割れないかなー」と言うほどの
筋肉バカなので、このお兄さんの力こぶに魅入られてしまった。

この日だけでなく、毎日会う人会う人、挨拶代りに腕相撲をし、
その後空手の型を披露していたので、毎日の筋トレはバッチリだった。

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気になる勝敗は・・・
旦那が体重をかけて(ズル)勝ちしていた。

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夜の11時を過ぎて、外で働く男性陣が帰宅後、
皆でそろって夕食の始まり。

カバーブやチキンの煮込み、
変わりごはん、マカロニサラダ、漬け物、ヨーグルト、などなど。

家具のある家でも、こうして絨毯の上にソフラを広げ、
床に座って食べるのがイラン流。


こうして毎日同じような顔ぶれが集まって、
同じようなメニューの夕食を共にする。
食べながら誰かが
「明日はうちに来てね!絶対だよ!」と旦那に念を押している。

今日会ったのだからいいではないか、というわけにはいかない。
「なんでうちには来てくれなかったのだ?」と
本気でヘソを曲げてしまうのだから。

極端な話では、旦那の弟夫婦は
「なんでうちには来てくれないんだ!」と怒ってしまった。
砂漠に出かける前日に行ったじゃないか、
あんなに夜更けまで散々踊ったじゃないか、
と言うと、
「あれは下の階、息子の家だ!」と言う。
後日、その上の階へ、もう一度行ったのは言うまでもない。

本当に「招きたがり」なのがイラン人だ。
日本人のお友達もイランへ旅行した際に、
道で会ったイラン人(もちろん初対面)の家に招待され、
夕食を食べて踊り、泊めてもらった、という経験をした人がいる。



こうして皆に招待してもらい、家を巡った後は、
皆を招き返さなければならない。

と言うわけで、我が旦那はパーティー会場を借りて
1度で済ます、という合理的方法で皆を招待。
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会場
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大御所のテーブル
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綺麗どころのテーブル
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お料理
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本来は主賓用の椅子で記念撮影

参加者88人、出席率101%。
しかも全部親戚なのだから、すごい所に嫁いでしまったものだ。

イラン旅行記11 ~帰り道~

ちょっと言葉を並べすぎた。
読み疲れ(と書き疲れ)防止のため、
今回は砂漠からの帰り道 写真集。

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道端のお土産屋さん

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(たぶん)漬け物とフルーツの瓶詰 

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次男の持っているおやつは甘酸っぱくておいしい

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途中の谷川で休憩

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必ず食べる メロン
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この後は1時間ほどでテヘランに到着


おまけ

この日の夜は、親戚のお祝いパーティーに参加。
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果物とタルト、ジュースが最初に
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アイスクリームも登場
(男女別に分かれた会場だったので、旦那に黙って食べた 笑)

この後のディナーの写真はがっついて食べていたのでナシ!

イラン旅行記10 ~さよなら 砂漠~

バンダル・トルクメンの市場から戻ると、
ハリル氏が名物料理『チェック・ディルマ』を作っていてくれた。
お肉はお二人が育てた子羊をしめたもの、
それをトマトやニンニクと炒め煮て米を入れ、
ゆっくりと炊き上げたトルクメン料理だ。
Kumokiさんのブログに登場する度、
いつか必ず食べてみたいと思っていたので、
それはそれは感動の味であった。


あっという間に時間が過ぎていく。

我が旦那とハリル氏は、途切れなく話し続け、
冗談を言い合い、討論し、たいそう盛り上がっていた。

私とKumokiさんも負けずと日本語で話そうとするのだが、
声の大きさも話のメリハリも、ペルシャ語の二人に押され気味。
それでもKumokiさんの砂漠での生活の様子や、
日々感じる事、考える事を聞いて、私も深く思いにふけった。


我が旦那の故郷は、お二人が暮らすグミシャンよりも、
もっと田舎の、村とも言えない様な小さな集落である。
旦那は、そこから少し大きい町に出て高校に行き、
首都のテヘランで働き、10代でアメリカに渡った後は、
16年間一度もイランへ帰れなかった。

そして今、ハリル氏にも、そして自分の親兄弟にも、
「俺は何があっても絶対イランになんか帰らない。
もう絶対に戻れるわけがない。」
とハッキリ、キッパリと言ってしまう。

大量生産・遠距離流通から地元消費の有機栽培へ、だとか、
都会から田舎へ住まいを移す、だとか、
そういった事を『後退』としてしか、捉えられない人なのだ。
アメリカからイランへ戻る事も、彼の中では『後退』である。

そんな旦那なので、ハリル氏が生まれ育った故郷で農業を始める、
という人生を選んだことに、色々と物申したのではないかと思う。
(思っているだけではなく、黙っていられない性格なのである。)


確かに砂漠の生活は、様々な事が不便である。

例えば、
トイレは野外であったり(義妹は夜、外に出るのを怖がっていた)、
道路が未舗装であったり(シャコタンの車で義弟が苦労したのは前述の通り)、
Kumokiさんの話を聞いていても、工事や色々な手続き等が、
全く思うように進まない、などの不自由さもある。

しかしKumokiさんは言う。
この自然環境は他の場所では決して手に入らない、と。
砂漠が好きで、苦労をしても、上手くいかない事があっても、
それでも砂漠という場所を捨てきれない、と。
自分で育てた羊の肉を食べ、
絞った牛乳からチーズやヨーグルトを作り、
新鮮な野菜や果物、焼き立てのパンが手に入る。
澄んだ空気と広がる大地に、元気をもらう。


人生は人それぞれ、幸せも人それぞれ。


私は・・・
正直な所、Kumokiさんの様な暮らしをする自信はない。
ただ、砂漠生活が提供する豊かさも理解できる。
そしてアメリカ生活が決して「豊か」ではない、という事も。

だからKumokiさんほどハードコアでなく、
自己満足に留まってしまうかもしれないけれど、
「なんちゃって農家」で頑張ってみようと思う。

そして砂漠人のブログと、お二人の生活を
遠くからでも、心から応援したい。
kumoki-san
旅立ちの朝、朝食の準備をして下さるご夫婦
breakfast

さよなら 砂漠

また いつか

イラン旅行記9 ~砂漠へ~

夜が明けた。

窓の外を見ると羊の群れと羊飼いが、砂漠に歩いて行くのが見えた。
地平線は遥か彼方、砂漠はどこまでも続いている。

しばらく外を眺めていると、ラクダが2頭、
人間に追われるでもなく、ゆっくりと砂漠に向かって行く。

外に出ると、朝の気温は涼しいくらいで清々しい。
澄んだ空気を胸いっぱい吸い込む。
なんだかワクワクして来た。


シャワーを浴びて身支度を整えたり、
義妹が入れてくれたお茶を飲んだりしていると、
ハリル氏とKumokiさんがやって来た。

お茶を沸かし、絨毯の上のソフラというビニールシートを広げ、
その上には美味しいパンや、手作りのジャム、チーズ。
そしてとっておきのバターが並べられた。
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このバターは子牛を生んだばかりの母牛から採れた濃厚な乳で作ったもの。
わざわざ私たちのために、冷凍してとっておいてくれた。
これぞ、最高のおもてなし。
パンはテヘランで食べていたものより厚く、
子ども達も「おいしい」と沢山食べていた。


朝食の後、ハリル氏の作業場である南庭まで散歩に出掛けた。
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と、早速ラクダが2頭、草を食んでいた。
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ラクダ達の仲間に加わる長男。
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動物好きなので、嬉しそう。
母も母なら、子も子、で立派な田舎ッぺ大将に育っている。 

次男がじっと見つめているのは・・・
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何の骨だろう?

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イランの干し草はきれいな長方形。
巨大な俵型のアメリカの干し草とは形が違うので面白い。
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親子の馬は警戒心が強く、近づくとイヤそうだったので少し遠くから。


南庭に到着すると、沢山の子犬が駆け寄って来た。
アメリカの平和ボケしたペット犬とは違い、
人間にはすり寄らないのが印象的だった。
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Kumokiさんにはなついていたけれど。

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日陰で休む羊を見たり、
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トラクターに乗って記念撮影する都会っ子・ベヘルーズ。


一度家に戻ってから、今度は海水浴に行くことになった。
ハリル氏とKumokiさんがトラックで先導し、
私たち一行はベヘルーズの車でついて行く。
町をぬけ、原っぱをぬけ、やがて未舗装のでこぼこ道に入った。
ベヘルーズの車は、普段18歳の息子が運転しているので、
だいぶ車高を下げてあり、地面の凹みが深い場所は、
車体の下がガリッと擦れてしまうので、ノロノロ運転。
ハリル氏のトラックは遥か彼方に青い点となってしまった。

途中に検問があり、銃を持った警備員が立っていたが、
止められることもなくスンナリ通過。
あとでKumokiさんに訊くと、その一帯はトルクメニスタン領でもあり、
普通の人は入ることのできない場所なのだそうだ。
羊飼いや、この土地に関係した人間のみが許された場所なのだが、
顔パスのハリル氏の同行者、として、私たちもVIPだ。
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到着したのはこんな場所。
カスピ海から水路が引かれ、きれいな水が常に流れ込んでくる。
見た目はそうでもないが、けっこう深い。
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このずっと先にカスピ海が広がっている。

誰もいないので、皆で水に飛び込んで好き勝手に泳いだ。
普通のビーチなら、男女別に分かれているし、
女性は露出を控えなければならないのだが、ここではお構いなし。
スカーフを脱ぎ捨て、タンクトップになり、
ヨガパンツをまくり上げて水に入れば気分爽快。
カスピ海の水なので、もちろん塩気がある。
こちら側から向こう岸まで、何度も行ったり来たりして、
嬉しそうに泳ぐ長男。

ベヘルーズ夫婦はうちの子ども達が溺れるのでは?
と心配で仕方ない様子で遠くから見ていたけれど、
皆に「入れ!入れ!」と誘われて、最後はパンツ一丁で飛び込んでいた。


水路の所々にポンプが設置されていて、
道路を挟んで反対側には人口の池に水を汲み上げている。
池は水路に沿って幾つも掘られていて、まるで田んぼの様だ。

これは政府の新しい養殖プロジェクトだそうで、
主にエビや魚をの稚魚を入れたばかりらしい。
冬の間は、この広大な砂漠に羊を放牧していたそうで、
今年の始めには、養殖池など影も形もなかった、
と、Kumokiさんはビックリしていた。
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説明してくれるハリル氏。

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手洗い用の水ではありません。

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記念撮影。


夜までまだしばらく時間があったので、Kumokiさんご夫婦と別れ、
テヘラン・チームは近くの町、バンダル・トルクメンへ。
ハリル氏の甥っ子さん、一押しの市場があるのだそうで、
ベヘルーズ夫婦が行きたがったからだ。
市場の写真を撮り忘れる、という失態を犯してしまったが、
服から生活雑貨まで色々な物が売っていて、
トルクメンの織物や刺繍が使われた服やバッグなども売られていた。

これは外に出た所でおもちゃを売っていた少年。
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少年から指導を受ける息子たち。

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『バンダル・トルクメン』とは『トルクメン港』という意味。
市場のすぐ脇にカスピ海があり、観光用ボートが出る桟橋があった。
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桟橋でもおもちゃの練習を続ける息子たち。
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夕暮れのバンダル・トルクメン。

イラン旅行記8 ~グミシャンへの道~

私のブログ友達・Kumokiさんがスウェーデンからイランの砂漠に移り住んで以来、
「いつか必ず遊びにいきますからねー!」と言っていたが、
とうとう実現する時が来た。

イランに到着して数日後、電話で初めてKumokiさんと話し、
(今まではブログのコメントとEメールでしか交流していなかった)
「いつ出発できるか、どのくらい滞在できるかもわからないのだけど」
と言うと、「うん、わかる、わかる。予定が全然立たないよね」と、
説明しなくても状況を熟知してくれている様なお答え。
やっぱりイランでは行き当たりばったり。
何がどうなるのか、わかろうとしないことが生き延びるコツなのだなぁ、と
短期滞在者の私ですら思っているのだから、住んでいるKumokiさんは痛感しているのだろう。

出発の朝にもう一度電話。
「今日、出発できそうです。たぶん昼過ぎに出て、夕方以降に到着できそうです。」

結局出発したのは午後2時だった。
ベヘルーズ夫婦と我が家族4人を乗せて、車は一路、グミシャンへ。

View Larger Map
イランではテヘランの北側、主にカスピ海沿岸一帯が『ショマール』と呼ばれる。
『ショマール』とは『北』という意味なのだが、
今回の目的地はテヘランから北東に400㎞強の町である。

車に乗り込み、ベヘルーズが車を飛ばしながら
「ところでその人はどういう友達なんだ?」と尋ねてきた。
ネット上の友達で、会ったこともなければ、どういう人かもよくは知らない。
共通点は「イラン人と結婚した日本人女性」というくらい、
と説明すると義弟夫婦は大笑い。
「本当に行って大丈夫なのか?
よーし!Kumoki!Kumoki!今 行くぞー!!」と
大声で雄叫びを上げ始めた。
旦那と息子も加わって、車内は大騒ぎ。

土埃けむる禿山の道は、やがて荒野となり、
遠くにそびえる山には低く分厚い雲が掛かっている。
その雲に飛び込んで行くかの様に車は突き進み、
山を登り始めると霧雨で視界が悪くなって来た。
窓を開けると寒いくらいの気温で、かなり標高の高い所まで来ている様だ。
少々心細くなったのか、またもや
「Kumoki!Kumoki!今 行くぞー!」コールが始まり、
勇ましい限りだ。
途中、峠の茶屋、と言った雰囲気のお店でお茶休憩。
その地方名物の『アッシュ』というスープを食べた所で
また車に乗り込み、我が一家は後部座席で熟睡。
昨日のサクランボ狩りと夜中過ぎまでの大騒ぎのせいだろう。
(ベヘルーズは、頼もしい安全運転。)

気が付くと景色は田園風景に変わっていた。
一瞬、故郷の新潟に着いたのかと思ったほど、それは日本によく似た風景だった。
遠くには緑の山が見え、青々と続く田園地帯に点々と見える集落。
(トランクに入っていたカメラを取り出して、写真を撮ればよかった。)

イラン人にとっても北の方は緑濃い場所というイメージがあるらしく、
「Kumokiはなかなかいい所に住んでるな」と言うので、
「違うよ、Kumokiさんの所は砂漠だよ」と返すと、
「そんなはずはない!どこに砂漠があるっていうんだ?」と
不思議で仕方がない様子。


出発からかれこれ6時間経過。
途中で道を訊きながら、最寄りの街に入った所でKumokiさんに電話した。
Kumokiさんのご主人、ハリル氏と打ち合わせしたベヘルーズは
最後の30分をかっ飛ばし、とうとうグミシャンに到着した頃には、
日がとっぷりと暮れていた。

街に入ってすぐの所にあるガソリンスタンドで、
バイクの側に立って待っているKumokiさんとハリル氏が見えた。

着いたーーー!

感動の再会、ではなく、初対面!
だけど、ブログで写真を見ていたので初対面の気がしない。
夢のようだけど、本当に会いに来られた!


挨拶を終えた後、ハリル氏の運転するバイクの後ろについて、
でこぼこ道をゆっくりと進んで行った。
外灯もあまりなく、街の様子があまりわからない。
間もなく、ハリル氏の甥っ子の家に到着。
甥っ子さんが彼の家を私たちの滞在のために、開けてくれたのだそうだ。

甥っ子さんの奥さんがお茶を出してくれ、
ハリル氏が夕食を作ってくれ、
皆で食事をしながらおしゃべりをした後、もう夜も遅いので、と
皆帰って行ってしまった。


明日、目覚めたらどんな風景がひろがっているのだろう。
楽しみで仕方がない。

イラン旅行記7 ~サクランボ狩りとBBQ~

また義弟の果樹園へ出かけた。
今回は大勢で、ベヘルーズの指導の下、サクランボ狩りだ。
BBQ10
どの木も鈴なりで、高い枝までびっしりついているので、
収穫がなかなか大変だ。
BBQ11
こういう時に真面目に作業に没頭してしまうのは、日本人の血か。
BBQ12
私の側では、こんな事をして遊んでいる者あり、
BBQ4
大好物のメロンを切っている輩あり、
BBQ9
取っ組み合いに始まり、
BBQ5
水の中での勝負に発展したケースあり、
BBQ8
BBQ7
まったり休憩する義母と義妹や
BBQ3
ベヘルーズの一人息子、サイードは鶏肉を焼いてくれている。
BBQ2
BBQ1
とても素朴なBBQ。
だけどものすごく美味しい。
BBQ6
パンに焼きたての鶏肉と、果樹園の隅から摘んで来たハーブを挟んで食べる。


BBQの後、この夜は一番年上の甥っ子、ホセインの家に招待されて行った。
ホセインは半年前に結婚したばかりの新婚さん。
とても美人で英語もしゃべれる奥さんのマルジャンと二人、
息の合った夫婦で幸せそうだった。
結婚披露宴のビデオを見せてもらったり、アルバムを見せてもらったりして、
盛り上がった後、また大勢が集まって夕食。
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普段はあまり魚料理は食卓にのらないのだけれど、
私が魚好きと知って、大きな魚に香草を詰めて焼いておいてくれた。
hosein2
食事の後はお得意のダンスが始まる。
hosein3
踊って、
hosein4
踊って、
hosein5
夜中の1時過ぎまで大騒ぎ。

最後はベヘルーズが突然電気を消し、
「解散ー!」と号令をかけて無理矢理お開きにしてしまった。

不満げな面々だったが、「明日はショマール(北)へ出発なんだから」と
ベヘルーズが言うと納得顔。
え?もしかして、私のブログ友達・Kumokiさんの所へ行くってこと!?
全然聞いてませんけど!?

と言うわけで、明日は、旅に出発だ。
(次に何が起こるかわからないのが、とってもイラン。)

イラン旅行記6 ~テヘラン郊外観光~

この日の行先は、たぶんカラジの近くだと思うのだが、
はっきりとした場所や名前がわからないので悪しからず。

義弟が「映画村がある」というので、言ってみた。
少々迷いつつ到着してみると・・・まるで廃墟。
movie set2
人の姿はちらほら見かけるのだけど、
どれがお客で、どれが働く人が全く見わけがつかず。
というか、働いている雰囲気の人を全然見かけない。
本当に営業しているのか?と思い続けながら歩き回る。

movie set1
このぼろぼろの建物の奥に、太ったおばさんがキュウリの皮を剥いていた。
いったい誰が、どこで食べるのか、大量のキュウリを剥きつつ、
「こっちは何もないわよ、あちら側へ行きなさい」と教えてくれた。

movie set3
キュウリおばさんの言った「あちら側」。
建物は少々立派になったが、人っ子一人おらず、鉄柵がしてある。
ここにもまた、おばさんが一人座っていたけど、係員というわけでもないらしい。
いったいどうなっているのだ?とおもいつつさらに進むと。

movie set4
エルサレムに到着。

movie set5
エルサレムに行ったことがないので、どれくらい忠実なのか全くわからないが、
昔は立派な映画のセットとして使われていたのかもしれない。
movie set7
朽ち果てた部分は演出なのか?ただ老朽化しているだけなのか?

さらに先に進んで行くと、土壁の街のセットに到着。
ここにも土方風作業員のおじさんが沢山いたが、一体何の仕事をしているのか?
このセットは修理して、また映画が撮影されるのだろうか?

movie set8
土壁の街は旦那の故郷、カハック村に迷い込んだ様な錯覚に陥り、
皆で「カハック!カハック!」と盛り上がる。
真昼間なので暑過ぎて、ちょっとおかしくなって来た。

バテバテの一向は気を取り直すため、少し移動して公園へ。
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こちらは新しくできた水辺の公園。

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遠くに後ろに見える高層ビルは新興住宅地とでも言おうか。
テヘラン中心部からは、かなり離れた場所にあるのだけれど、
郊外に居住地を移す動きがある様子だ。
ちなみに一番下の義弟・アミン家族はこの近くに住んでいる。

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この公園でメロンを2つほど切って食べ、元気を取り戻した一行。


テヘラン市内へ戻りながら、途中で昼食。
山の上の方にあるレストランで、屋外に高床式の席が並んでいる。
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カバブは何度食べてもおいしい。
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食後はゆっくりくつろいで寝転んだり、水タバコを楽しむ人もいる。
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帰りにレストランのパン焼き窯を見せてもらった。
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この内側にパン生地をくっつけて焼くのだそうだ。
作業している所も見てみたかったが、休憩中だった。

イラン旅行記5 ~テヘラン観光ツアー~

毎日家にいてはつまらないだろう、と義弟が気を利かせてくれて、
テヘラン市内のバスツアーに連れて行ってくれた。
義弟夫婦、義父母と義妹、それに我が家族、と9人で出かけた。

市内のホテルから観光バスに乗り込むと、
ガイドの若い男女と、他には20人ほどの観光客が同行した。
ほとんど皆、テヘラン在住のイラン人だったが、
スウェーデン人のご主人と4歳くらいの女の子を連れた、
イラン人の女性が参加していて、現在スウェーデンに住んでいる、と言っていた。

一行が最初に訪れたのは『ゴレスターン宮殿』。
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美しいタイルの建物と大きな庭園が、都会のど真ん中にいる事を忘れさせてくれる。

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タイルの模様も色々で、これはかわいい。
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今と
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王様の戴冠式などが行わる場所だったそうだ。

建物の外も素晴らしいが、中も相当きらびやか。
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この天井も細かい模様で美しかった。

この扉の中は、各国から送られた宝物が展示された博物館。
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しかし撮影禁止になっていたので残念ながらお見せできない。
中国の大きな壺や、イギリスの椅子、インドの彫刻が施された家具など、
色々な物が並んでいた。


次の目的地は『テヘラン考古学博物館』。
地味な建物で、それほど大きくはないが、展示物はなかなかだった。
土器に始まり、歴史の教科書で見たような
「これぞペルシャ!」という遺跡の壁画や像があった。
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子ども達が興味津々で見入っていたこちらは『ソルトマン』。
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塩坑に落ちてしまったのだろうか、塩漬け保存された人が発掘されたのだそうだ。
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こちらは脚


次に宝石博物館へ行った。
(リンク先は英語ですが、画面右上の番号を押すと写真が色々出てきます。)
この博物館は国営銀行の奥にあり、到着後、12歳以下は入場できない、と言われて弱った。
仕方がないので、息子たち2人は義父と一緒に銀行のソファーに座って待つことに。
警備が厳重で、手荷物は持ち込めず、預けなければならない。
もちろんカメラや携帯電話もダメなので、撮影は一切禁止。

飛行場の様なセキュリティーゲートを2つくぐり、
地下に下りていくと、薄暗い照明の広い展示場があった。
説明をしてくれるおじさんと一緒に団体が進む。
ガラスケースの中に金銀財宝が所狭しと並んでいた。
宝石に疎い私には、何が何だかわからなかったが、
60カラットのピンクダイヤモンドがついたティアラや、
ものすごい量の金と宝石を使った地球儀も展示されていた。
あちこちにスーツをバッチリ着込んだ警備員が立っていて、
「手すりに触らないで」などと注意をしているので、
盗む気などなくても緊張してしまう雰囲気であった。


最後は『ミラードタワー』。
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世界で6番目に高いタワーだそうだ。
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ご覧のとおり、とても近代的なデザイン。
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タワーの入り口
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中は噴水があちこちにあって楽しい
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展望台の屋内には、世界10大タワーの模型が並んでいて、
堂々1位は「スカイ・ツリー」(一番手前)。
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展望台からテヘランを見下ろす(金網越しで失礼)。
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双眼鏡をのぞく面々。
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タワーとテヘランの夜景を描いた絵も素敵。
夜に何度かこのタワーの見える場所を車で通ったが、
この展望台部分の色が変わって、これまた一興だった。
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家族皆で記念撮影。
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なかなか充実したテヘランツアー。
バスは皆を乗せ、出発地点のホテルに戻るはずだったのだが、
義弟がハイウェイの真ん中で運転手に頼んでおろしてもらい、
一家揃ってヒッチハイク(と言っても、タクシーを止めるのだけど)。
hitch hike
最後の最後までテヘランを満喫しきった一日であった。

イラン旅行記4 ~日常生活~

イラン旅行、と聞いたら、どんなツアーを想像されるだろうか?

ペルシャ帝国の遺跡を巡ったり、博物館や寺院を訪れるのが普通だろう。
しかし私の場合、『旅行記』と銘打ってはいるが、
旦那と一緒に里帰りしているだけなので、
もし、検索エンジンなどからこのページに辿りついた方がおられたら、
ちょっとガッカリされるかもしれない。

が、4000年以上前に繁栄したペルシャ帝国の遺跡の周りの砂漠で、
現代のイラン人が暮らしているわけがない。
物騒なニュースと外交下手な大統領のお陰で、昨今のイランは実に評判が悪いが、
テロリストがうろうろしているわけでもない。

色々な誤解を受ける国・イランは、門戸が開かれているとは言いにくく、
一般大衆が訪れる機会が、あまりない場所なので、
どんな風景の中で人々が暮らしているのかをお伝えするのも大切だと思う。


近日のイランは、各国から経済制裁を受けて、実際に人々の生活は楽ではない。
以前は1米ドルが1000リアルくらいだったのだが、
今回滞在中は1米ドルが3600リアルまで高騰していた。
そんな事を書くと、未発達な国に暮らす、貧民を想像されるかも知れないが、
テヘランは大都会であり、普通に色々な物があふれている。

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こちらは甥っ子が連れて行ってくれたショッピング・モール。
地下1階、地上4階建ての大きなモールで、服の値段はアメリカとそれほど変わらない。

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最上階は遊園地になっていて、子ども達は大喜び。
ボーリング場もあり、甥っ子と旦那と私でボーリングもやった。

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場所はとんで、こちらは義弟の薬局。
奥の店員が座る場所から撮ったのでいまいち店頭の雰囲気が伝わらないが、
さまざまな薬がギッシリ並んでいる。

お腹が痛い、風邪気味だ、など、旅行中体調不良になっても、
この義弟のお陰ですぐにお医者さんに掛かることができ、
また薬も手に入るので、全く心配なしだ。


ちなみに今回の滞在中、旦那は歯医者に通い続けた。
フロリダでヤブ歯医者に掛かった結果、今年に入って2回も化膿し、
おたふくか?というくらいに頬が腫れて酷いことになっていたのだ。
毎朝8時に出かけて行って通い続けた結果、きれいに直った。
私も2回治療に行き、虫歯を4本直してもらった。
私は半年くらい前に、アメリカで歯のクリーニングをした際、
この虫歯を直す見積もりを出してもらったのだが、2500ドルほどと言われた。
イランでの治療費は私と旦那、二人合わせて1200ドルほどだった。
「アメリカで同じ治療してたら、飛行機代を合わせても足りなかったんじゃない?」
と旦那と二人意気揚々としていたわけである。

しかし逆に言えば、歯科医の収入がそれだけ、という事は、
他の仕事のサラリーもおそらく、アメリカや日本の収入よりも
ずっと低いのだろうと想像する。
私たちにとっては安い、と思える買い物も、イランで暮らす人々にとっては
決して安くないはずだ。


ある日、遊びに来てくれた親戚の女の子が素敵なメガネをかけていた。
見せてもらうとガラスでできている。
アメリカでは安全性の問題でプラスチックのレンズしか出回っていないらしく、
メガネを作るとレンズが厚くなるのがイヤなのだ。
「これは!」と思い、早速、義妹と一緒にメガネ屋さんへ行った。
2ペア作ってもらい、そのうち一つは日に当たると黒くなる、
トランジション・レンズにしてもらって、約70ドルだった。
アメリカで作るよりずっと安く、質の良いメガネが作れて大満足だった。


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義弟が連れて行ってくれたレストラン

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歌手のおじさんが歌っているステージがすぐ脇に

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弟とうちの息子たちは意気投合して楽しそう

イランではレストランに行っても、家で食べるのと同じ料理がメニューに並ぶ。
それ以外はファーストフード(ハンバーガーかフライドチキン)のお店、
ピザ屋さん(宅配もあり)くらいなもの。
それ以外の外国料理のレストランは皆無。
旦那家族が知らないだけなのか?とも思うが、不思議なくらい
食事面で保守的なイラン人達。

「次回は寿司の材料を担いで来て、寿司を作ってあげるねー」
と冗談飛ばしたら、思いっきりイヤな顔をされてしまった。

イラン旅行記3 ~義弟の果樹園~

旦那には兄が一人、妹が一人、弟が三人いる。

下から2番目の弟・ベヘルーズは薬局を経営していて、
兄弟の中でも、出世頭と言った所だろうか。
少し前に果樹園を買った、と電話で聞いていたのだが、
私たちの到着後、待ってました!とばかりにその果樹園に連れて行ってくれた。

View Larger Map

車で約30分ほど、山を一つ越えたラバサンという場所は、
山間の川の周りに果樹園が並ぶ地域だ。
義弟の様にテヘランに住む人が休みに遊びに行くために、
いわゆる別荘を建てたりする場所らしい。

義弟の果樹園はサクランボの木が沢山植えてあった。
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写真右に写っている白い壁の建物は、
義弟が果樹園購入後に建てたもの。
鈴なりのサクランボを見せるのが嬉しくて仕方がない様子で、
滞在中、毎週のようにこの果樹園に連れて行ってくれた。
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香りのよいバラも沢山咲いている。

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一番下の義弟・アミンの一人娘は9歳

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日暮れの山と、モスクの塔

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モスクの側まで散歩に行ってみた

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扉が開いていたので、中も撮影。

この日は夕方に到着したので、サクランボ狩りはあまりせずに、
鈴なりの景色を満喫した。
次回はガッツリ採るぞ!

イラン旅行記2 ~イラン到着~

イタリアのローマから、飛行機に乗ること4時間。
イランのテヘラン空港に到着したのは午前4時半だった。
ローマ空港がひどすぎたからか、
早朝の閑散としたテヘラン空港は動きやすく、
入国審査も預けた荷物の受け取りも、ずいぶんとスムーズに感じた。


とんでもない時間の到着にも関わらず、
義父、義弟、義妹、甥っ子など6人が、車3台で迎えに来てくれていた。
近しい男性とは握手をし、義妹とは両ほほを交互に合わせて挨拶。
久しぶりの再会でなんだか照れくさいなぁ、と思った瞬間
「太ったねー」と義妹。
歯に衣着せぬ、この物言いが気持ちの距離を近づけてくれ、
ぎこちなさも一気に吹っ飛ぶ、イラン人のお出迎えだ。

テヘラン市内までは車で1時間近くかかる。
18歳になって、3年前よりずっと男らしくなった甥っ子の運転する車で
まだ渋滞もない道を行くと、懐かしさが湧いてくる。
イランに来るのはこれで4度目なのだから、当然か。

今回の滞在は、義父母の家でお世話になることになった。
約1年ほど前、田舎から首都のテヘランに引っ越した義父母は
都会暮らしが気に入っていて、快適だそうだ。
82歳になる義母は、相変わらず元気で
到着後、すぐにお茶を出してくれたり、
料理の準備を始めたり、忙しく立ち回ってくれる。
旦那の妹は結婚もせず、ずっと義父母と一緒に暮らしているのだが、
滞在中、彼女にもだいぶお世話になってしまった。


夜になると家族や親戚がドンドンやって来た。
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厄除けの香を炊いて皆の頭上にかざしてくれる甥っ子。

人が来るたびに、お茶が出され、果物が振る舞われ、
お菓子の皿が回され、夜中近くになって夕食となる。

連日、そんな風に大騒ぎなので、義姉が泊まり込んでお手伝いしてくれた。
なんだか申し訳ない気分になってくるのだが、
私にできるのは皿洗いくらいだ。


長男は人が集まる度に、空手の型を披露。
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空手は大うけで、毎回同じような顔ぶれなのに、
「またやれ!またやれ!」とお声がかかるので、長男は大忙し。

最初の数回は長男の真剣さと、気合の声の迫力に目を丸くして、
「いいぞ!日本人!!」
などと言っていた親戚一同。
しかし何度も見ているうちに、長男の気合を真似て、
全然関係のないところで、片手で口元を隠しつつ、
「アイーーー!」と素っ頓狂な声を上げるものだから
他のメンバーもクスクス笑い出し、
型をやっている長男本人も、笑いをかみ殺すのが大変そうだった。

茶目っ気たっぷりで、子どもをとても可愛がってくれる親戚一同に、
子ども達もすぐになついて、毎日が本当に楽しそうだった。

イラン旅行記1 ~ローマ観光~

フロリダからイランへ行くには、毎度ヨーロッパを経由する。
今回は初めてのイタリアはローマが経由地だ。

安い航空券を買ったため、ローマでの待ち時間はなんと12時間!
到着後と出発前に空港内で過ごす時間を除いても、9時間ほど手持無沙汰になる。

旅行出発前から、この9時間をどう過ごすか、かなり迷った。
ローマに行ったことのある友人・知人、誰に訪ねても
「すられた」「ぼったくられた」「物乞いにつきまとわれた」
などなど、物騒な話がもれなくついてきて、不安になるばかり。

乗り継ぎの飛行機に乗り遅れたらどうしよう?
盗難にあったて身ぐるみはぎとられたらどうしよう?
(イランはクレジットカードが使えないので
現金をかなり持っていく事になり、この表現は決して大袈裟ではない。)
『最悪のシナリオ』を考えだしたらキリがない。
根が心配性の私は、ローマ探索にかなり消極的であった。
なので下調べも全くせず、旅行の計画も立てなかった。


しかし、暴れん坊将軍の旦那はやはり、ローマ半日観光を強行してしまった。


ローマ空港は決して褒められる様な設計ではない。
飛行機が何便も同時に到着して、動物の群れのごとく人が押し寄せているのに、
手荷物検査のブースは数えるほどしかない。
長蛇の列で待ち続けて、ものすごく時間をくった後、
迷いつつも飛行機会社のカウンターを見つけて、
12時間後のイラン行の航空券を発券してもらった。

寝不足と人酔い(?)でぐったりする私をしり目に、
「よし。ローマ観光するぞ!」と突然言い出す旦那。
内心「行けるものなら行ってみろ」と、あえて無言でついて行く私。

空港の外に出ようとしたら、これまた大変。
長細い建物を左端までひたすら歩き、
イタリア入国のゲートを通った後、また建物の右端までひたすら歩く。
行ったり来たりを繰り返すような設計になっている。
(いかに成田空港やアトランタ空港の設計が優れているか痛感。)

またまた迷いつつ、ようやく見つけた手荷物預かり所。
ラップトップを含めた機内持ち込み荷物をすべて預け、
旦那と子ども達は手ぶら、
私はパスポートや現金などの貴重品を詰め込んだカメラバッグ1つ、
という軽装になった。

それでも「本当に観光するのー?」と眉をしかめる私が気に入らなかったのか、
俄然やる気を出し、未だかつてないリーダーシップを発揮する旦那。
すぐ近くにあった切符売場でローマ中心部までの
バス往復切符をササッと買ってしまった。
一人あたり往復8ユーロほどと、安価だったと記憶している。

乗り場には観光バスが停まっていて、乗ってみるとフカフカシートで快適であった。
途中停車も全くなく、車窓からの見晴しもよい。
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約40分ほどで、あっという間にローマ中心部に到着。
空港から駅までの電車にもスリが多い、と聞いていたので
このバスを選択したのはかなりアタリだった。
(旦那、けっこうやるな。)


バスを降りた瞬間に近づいてきて、流暢な英語で話しかけるインド系の青年。
手には2階建てバスの写真が載ったパンフレットを持っている。
この2階が展望デッキ風になっているバス、
約15分おきに、市内9か所の停留所に停まるそうで、
1日乗り降り自由自在の切符を売っている、という事だった。
あまりに観光客慣れしているローマの接客ぶりに、私が呆気にとられている間に、
旦那はスンナリこの話にのり、またもやバス切符を購入。

乗り場に行って列に並ぶと、色々な物売りが群がってきた。
「アイス・ウォーター!」と水を手に押し付けようとする売り子、
傘を頭上にかざし、「マダーム!マダーム!ビューティフル!」と連呼する売り子、
勝手に子どもの頭に帽子を被せてくる売り子。
あまりにしつこいのでイラッとして「NO!!」とキツく言ってしまったほどだった。
(なんだかものすごくイヤな人間になっている私。)


バスでローマ市内の有名な観光スポットを車窓から眺めながら、
正直、人の多さにウンザリしてしまった。
有名どころ・コロシアムは、実際はド迫力なんだろうなぁ、と想像していたが、
建物自体よりも、外にも中にも人がびっしり、
カラフルなアリの様にうごめいていて愕然。
人ごみの苦手な私は全く近寄る気にならず、停留所を素通り。
(それどころか写真すら取り忘れてしまった・・・。)

どこに行っても人が多いのは仕方ない、と
覚悟を決めて降り立ったのはバチカン広場のそば。
roma2

カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂手前の
よくテレビや写真で見る、有名な広場である。
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しかし・・・本当に人が多くて、歩くのが大変なほど。
荘厳で厳粛な雰囲気を想像していた私は、
物売りやストリート・パフォーマー、さらには物乞いの多さにもびっくりしてしまった。
street in rome

「古いものはイランで見飽きた」と豪語する旦那。
そんな中で旦那と子どもたちが一番興奮していたのはこちら。
monk
修行僧のパフォーマンスにくぎ付け。

「本物?人形?」などと言いながら、
そばに行って小突きそうな勢いの旦那とは、正直、同行者と思われたくなかった。
イランに到着後も、ローマと言えば!という感じで、誇らしげにこの写真を見せていた。
まーったく、ローマでもバチカンでも、ないではないか。


その後はブラブラ歩き、野外にテーブルを並べているレストランでピザを頼み、
簡単な昼食を取った。
(本当はカルボナーラを食べようと思ったのに、
ベーコンが入っている、という理由で旦那に止められた。
「絶対腹壊す!」と、ジェラートも食べさせてくれなかった。)

バスも飽きたので、駅までの残りを歩こう、と決めたのはいいが、
結局2時間近くさまよって、途中人に道を聞いたりしながら、
ようやく駅に戻ってきた。
その間、気づけば全く危ないと感じず、予想外にトラブルのない半日観光だった。

ただ想像するに、我が一家はあまりにもみすぼらしい一行だからだろう。
ほぼ手ぶら、Tシャツに短パンという普段着で、
紅一点の私すら、きらびやかなものは一切付けておらず、
ブランド品の買い物袋も持っていない。
私がスリ常習犯だったら、まず、絶対狙わないメンバー勢ぞろいである。
窃盗で名高い各地へお出かけの皆さん、ぜひみすぼらしい恰好でどうぞ。


あまりにも有名なローマに、私が勝手に期待を膨らませすぎてしまっていたらしく、
実際のローマは正直「こんなもんか・・・」という感じ。
もちろん、アートや建築に興味のある人にはたまらないだろうし、
もっと時間をかければ、感動する場所にも行けたのだろうが、
半日の駆け足ツアーではローマの表面をサラッと見ただけ。

しかし旦那は「俺はローマに行った」と言えるだけで大満足らしい。
そんなこったろうと思った。
お陰様で歩き疲れて、子ども達がエネルギー発散できたのはありがたかったが。
イラン行の4時間と短い飛行機の中でも、ぐっすり寝てくれたので
めでたし、めでたし。

帰ってきました!

「ただいま~」
とは言っても、フロリダに戻って来たのは12日前。


イランはネット環境が本当に悪かった。
義弟の営む薬局にパソコンがあり、インターネットもできる、
と聞いていたのだが、滞在中、全く使い物にならなかった。
ホットメール、Gメール、私のブログ、その他ウェブサイトは
全く入ることができない。
唯一Yahooの検索エンジンが利用できたが、検索結果のサイトへ飛ぼうとすると、
「みつかりません」もしくは「ブロックされています」の文字。
イラン政府の規制は予想以上に厳しい。

パソコンに向かえば、そこには別世界が広がっている、
というのが当たり前の日々から、
そんなものは存在しない!という日常へ。

最初は少々いらだち、「いつもこんな風なの?」と訊いてみたが、
「大統領選挙のせいで検閲がきびしくなってるんだよ」
「フィルターを取り除くプログラムがあればFacebookもできるよ」
など、の答えが返ってきて、あきらめよう、と決めた。


イランの人々は日々したたかに、天真爛漫に生きている。
インターネットがあろうとなかろうと、時間は流れ、人は生きる。

そうと割り切れば、なんだか身軽な気さえしてきた。
もちろん、たった3週間の滞在だから、それを楽しむ余裕が出るのだろうが。
そうして旦那の親戚・家族とワイワイ過ごしているうちに、
あっという間にイラン旅行は終わってしまった。


フロリダに帰宅後、時差ボケには悩まされなかったけれど、
ネット環境に戻ることが億劫で仕方がなかった。
パソコンを開いてしまったら、そこからあふれ出す情報の波に
飲み込まれてしまいそうな気がした。
スッキリとした木綿のワンピース1枚を着慣れた頃に、
ゴテゴテとした服を着て、アクセサリーを付けなければならない様な気分。

日々の生活の中で、何が大事で、いかに色々なことに囚われているか、
ボーッと考えているうちに12日も経過していたのである。


というわけで、気持ちを切り替えて、ブログの旅行記を書くとしよう。
しばらくの間、お付き合いくださいませ。