日本里帰り 覚書 5 <福岡>

8月1日、一日かけて鹿児島から福岡へ移動。
総勢7名なのでステーションワゴンをレンタルし、車でのんびり北上する予定であった。
しかし前日に台風が九州地方に大接近。
かなり心配していたが、出発の朝は意外にも雨脚が弱まって、
鹿児島から離れるにつれ、天気が回復してきた。

レンタカーお店で国際免許証を提示したら、
「これだけでは運転して頂けません」と言われてしまったので、
弟のヒロが一人で福岡までの長い道のりを運転することになった。

アメリカのハイウェイは無料、またはごく少額の小銭を支払う程度で利用できる。
高速道路に入った所で、
「日本は高速道路の料金もけっこうするんだよ」と
日本豆知識を披露した私がバカだった。
「じゃあ、下道を使って行けばいいじゃないか!」
「どうせ急ぐ旅じゃないだろ?」
と、旦那と義弟が後部座席からヤンヤ言い始め、
優しいヒロはニコニコしながら高速を下りた。
ちょうど鹿児島と宮崎の県境に近い辺りであった。

そこから登り下りの、行きつ戻りつしながらの山道が続いた。
時々、はるか上を真っ直ぐに山を貫いて続く、高速道路が見える。
緑濃い景色は良いのだが、地図を見ても一向に距離を稼げない。
夕方までに到着すればよいものの、
一人で運転しなければならないヒロも可哀想だし、
高速を使えば、道の駅や観光に1、2か所寄り道できるのではないか?
私は胸中、フラストレーションが渦巻いていた。

そんな時、事件は起こった。
途中のコンビニでトイレ休憩し、果てしなく続く「下道運転」に備えて
ヒロが目覚まし用にスルメを買った。
車内に入り、袋を開けた途端。
「なんだ!この臭いは!!」
「うわぁーーー!」
イランチーム、慌てて窓を開けている。
え?という表情のヒロ、私、そして子ども達。
「ドブの臭いがするー!」
「なんでそんな物を食うんだ!信じられない!!」
まるで私達が嫌がらせをしたかの様に、旦那は怒っていた。
義妹は何も言わなかったが、窓を全開にして顔をほぼ外に出している。
スルメの袋を固く封印したのは言うまでもない。

スルメ事件の後、車内は気まずい雰囲気に。
車は熊本に入り、やがて市内の賑やかな辺りで渋滞気味になった。
時刻はとっくに午後になっている。
ナビの示す到着時刻はどんどん遅れていく。
私は「もう高速に乗ろう」とヒロに言った。
高速入口寸前、道の脇の売店でスイカが500円や800円で売っていた。
「安い!安い!」
旦那が騒いだが、高速にすっと乗ってしまった。
この後、3日間に渡り、
「やっぱりあの時、スイカを買っておくべきだった・・・」という
旦那の恨みがましいボヤキを聞くことになる。

そうこうして、どうにかたどり着いた福岡。
ヒロは一人で、ほとんど休憩もなしに、8時間運転してくれた。
弟よ、ありがとう!!

福岡ではゲストハウス中今に3日間お世話になった。
ゲストハウスに宿泊するのは初めてだったが、思った以上に居心地が良かった。
ここでフロリダの空手仲間、日本人のA子さんと娘さん2人と落ち合った。
そして夜8時過ぎにはイランチームを宿に残し、
A子さん家族と一緒に福岡空港へ。
フロリダからやって来た先生をお出迎え。
宿に戻ると義弟夫婦が特製のイラン風オムレツを作っておいてくれた。
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沢山買い込んだ食パンと一緒に食べたらとても美味しかった。
このキッチン付き、畳にちゃぶ台がある共有スペースが、
3日間憩いの場として大活躍だった。

翌日は福岡観光。
kushida shrine
櫛田神社詣で
hakata ramen
キャナルシティをブラブラして、お昼はラーメン、
夜はもつ鍋を食べに出かけた。

この日もイランチームにとって、食事はハズレであった。
「ヌードルはいらない」と言い、私達が食べている間、
3人でどこかへ行ってしまった。
(あとで訊いたら、スイーツを食べていたらしい。)
夕食のもつ鍋も義妹は一口食べてNGだった様子。
結局宿に戻ってから、ヨーグルトとパンを一人静かに食べていた。
旦那と義弟はモツをけっこう食べてはいたが、
うまい、とは言ってくれなかった。

日本人は観光と同じくらい、その場所の名物グルメを食べようと意気込むが、
イランチームには、その感覚が理解できないらしい。
「また食べるのか?さっき食べたじゃないか!」
「ヌードル?そんなのどこにでもあるだろう?」
などと言われると、こちらもテンションが下がってしまう。
憎まれ口をたたく旦那などはまだいいが、
無言で食べずに座っている義妹を前に食べるていると、
何だがこちらが悪いことをしている様で、さらにきつい。
これはもう、お互い「仕方がない」と割り切るしかないと思うが、
とにかく、食の探求心が旺盛で、ほぼ何でも食べられる(食べてみる事ができる)日本人は
幸せだなぁ、と思うのだった。

日本里帰り 覚書 4 <鹿児島>

屋久島旅行から戻った翌日。
収拾のつかないメンツ揃いのツアーガイド任務から
ついに解放されたチーちゃん、ガッくん夫婦は、
2人きりの新婚旅行を楽しむために宮崎へ向かった。

私達、残りのメンバーは鹿児島でさらに3泊だ。
1日目は桜島行のフェリーに乗り、島内を走るバスで観光。
sakurajima statue
長淵剛コンサート記念碑の前でお決まりポーズ

鹿児島水族館
kagoshima aquarium2
kagoshima aquarium1
夕方、錬心館総本部の方が迎えに来て下さり、
総本部の子ども達が空手を練習する所を見学させて頂いた。
4歳から高校生まで、年齢も帯の色も様々な子ども達が、
気合を入れて美しい型を見せてくれた。

2日目は地元をよく知る方に指宿方面へ連れて行って頂いた。
写真が取れなかったが、砂蒸し風呂を体験。
適度な圧迫感でとても気持ち良かった。
その後、名前は忘れてしまったけれど神社を参拝。
kagoshima shrine2
kagoshia shrine
お昼ご飯は流しそうめん!
kagoshima somen
かなり戸惑い気味のイラン・チーム
煮込み料理が多いイラン人には、冷たい麺はウケなかった様だが、
私は味も、この場所の雰囲気も大満足だった。
チャンスがあったら、もう一度行きたい。

鹿児島市内に戻って、名物『しろくま』を食べに連れて行ってもらった。
kagoshima shirokuma
その後天文館をブラブラし、デパートの地下では
kagoshima depachika
ゴジラの卵に遭遇!
イランチームはデパ地下がなかなか楽しかったようだ。
特に果物の値段が高すぎる!と大騒ぎするのは毎回のお約束。
2個入りマンゴーが2万円以上したり、
スイカが1万円以上したり、
日本という国はどうなっているんだ!?
と、とにかく不思議そうだった。

3日目は台風の影響で大雨の中、錬心館の総本山へ。
宗家先生とゆっくりお話をして記念撮影の後、
鹿児島市内に戻って鹿児島黒豚のしゃぶしゃぶをご馳走になった。

明日は1日かけて福岡へ移動予定。
台風の影響はいかに?

日本里帰り 覚書 3 <屋久島>

日本に到着翌日、ホテルをチェックアウトして再び成田空港へ。
昼過ぎに実弟(ヒロ)、そして実妹(妹・チーちゃん、妹伴侶・ガッくん)夫婦と合流して、
総勢9人で、鹿児島へ飛ぶのである。
成田→鹿児島間はジェットスターを利用したので、驚くほど安く移動できた。
チェックイン時に
「桜島の噴火活動によっては、到着を急遽福岡空港に変更する場合がありますので、
ご了承願います」とサラリと言われ、一同動揺。
鹿児島で1泊して、翌朝早くフェリーで屋久島へ移動、と
予定がミッチリ詰まっているというのに、福岡なんぞに降ろされた日には、
どこまで予定が狂ってしまうか、想像もつかない。

そういう意味ではスリルのある空の旅だったが、
果たして、小さなの飛行機は無事、快晴の鹿児島空港に到着。
一行はレンタカー2台に分かれ、鹿児島市内へ移動。
夕食は『熊襲亭』で鹿児島の郷土料理を楽しんだ。
あまり箸の進まない義妹が食べられそうなものを、
あれこれとメニューから選んでみた。
後日談によると、実はここで私達が刺身や鶏のたたきなどを食べているのを見て、
義妹は必死に吐き気を堪えていたらしいのだが、この時は知る由もない。
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ホテルの部屋から眺める桜島

翌朝。
yakushima he
フェリーで屋久島へ向かう
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船内ではウノで大興奮!

屋久島旅行は、ガッくんとチーちゃんが計画・予約していてくれたので、
全てがスムーズに進み、盛りだくさんの2泊3日であった。
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春田浜海水浴場で一泳ぎ。
カラフルな魚が沢山泳いでいて、子ども達は大はしゃぎ。

1日目の宿泊先『ロッジ八重岳山荘』は特に素晴らしかった。
緑深い素晴らしい景観で、宿泊したロッジはとても広く、
宿のお兄さんも、自然体で優しいヨカニセ(鹿児島弁でイケメンの意味)であった。
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ロッジのBBQも豪華で大満足!

2日目は今回の屋久島旅行メイン・イベント 『白谷雲水峡』へ。
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早朝の車窓から(ボケボケですいません)
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警戒心のないおサル達
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駐車場で腹ごしらえ「お弁当」
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元気よく出発!
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吊り橋
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「もののけ姫」の世界はこの森から創造されたとか
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神秘的な自然に囲まれて
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ついに太鼓岩に到着!
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絶景に大満足(でも高すぎて足がすくむ・・・)
子ども達は最初から最後まで元気いっぱい、常に先頭を歩いていた。
私は後半、足がガクガクで疲労困憊。
イランチームは頭から水を被ったくらいの汗だくに。
でも充実のハイキング!
リーダーシップをとってくれたガッくん、ありがとう!!

よく日はフェリーに乗るまでの午前中、海水浴を楽しんだ。
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一湊海水浴場
今まで泳いだ海の中で、一番透明だったかもしれない。
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こんな海なら毎日泳いでも飽きないなぁ、と名残惜しく思いつつ、
フェリーの時間に合わせて港へ移動。

遠い道のりだったけど、来ることができてよかった!
チーちゃん、ガッくんに感謝感謝の旅であった。

日本里帰り 覚書 2 <日本到着>

旅支度も慌ただしく、7月23日、日本へ出発した。
フロリダ→トロント(カナダ)→成田と順調に進み、
入国審査も問題なく通過できた。
私達が到着した第1ターミナルから、
義弟夫婦が到着する第2ターミナルへ移動。
義弟夫婦はイラン→ドバイ→成田の経路で、
私達より2時間遅れて到着することになっていた。
掲示板を見上げながら、到着した人々が次々に出てくるのを
ジーッと見続ける。
到着予定時刻はとっくにすぎて、しかし待てど暮せど、出てこない義弟夫婦。
40分ほど経過して、イライラが募った我が旦那が、
「早く誰かに訊いてこい!」と言い始めた。
とは言っても、誰に訊けというのか?
渋る私に、さらにイライラが高まり、
今にも到着ゲートの曇りガラスの向こう側に突撃して行きそうだったので、
インフォメーション・カウンターのお姉さんに訊きに行く私。
お姉さんは申し訳なさそうに、入管の状況は分かりかねる、と言い、
航空会社の電話番号(東京)をくれた。
どうしたものか・・・と半ば途方に暮れ、
イライラMAXの旦那のもとへハラハラしながら戻り、
どうにか航空会社に電話しようと試みていると、
到着から1時間20分が経過して、ようやく義弟夫婦が出てきた。

義弟によると、飛行機の中で配られた「入国カード」に
日本での滞在先が記入できなかったらしい。
私も帰国したのが5年も前なので、
機内で書かされる、このカードの存在をすっかり忘れてしまっていた。
英語も日本語もできない義弟夫婦が心配で、
「日本の入国審査でわからなかったらこれを見せて」と、
手紙を書いて義弟にFAXしておいたのだが、
それも、うっかりしていて日本の実家の住所を書き忘れてしまっていたのだ。
(ビザ申請時には、あんなに何度も日本語と英語で書いたのに!)
しかし東京に住む弟と、実家の電話番号は書いておいたので、
入国審査官が弟に電話を掛けて訊いてくれたらしいのだが、
その作業で1時間以上足止めを喰らったらしいのだ。
「日本、最悪!」
「ひどい奴らだ!」
と、半分冗談、半分本気で旦那と義弟から攻撃される、日本人代表の私。

空港近くのホテルで1泊する事になっていたので、
シャトルバスで移動し、ホテルにチェックインして、
軽い夕食を食べ、ホテルの部屋に義弟夫婦もやって来て、皆でお喋りした。
それから日本の家族に無事到着の電話連絡。
イランにも電話。

前回の帰省でも困った日本での携帯電話について、
自分のための覚書として、また、他の方の参考になるかもしれないので、
ここに書いておこうと思う。
今回はアメリカで購入したiPhoneを持参した。
アメリカで契約している携帯電話会社に頼んでロックを解除してもらったのだ。
そしてbモバイルで日本訪問者用のSIMカードを借りた。
インターネットのみのものにしたが、
Skypeで日本の固定電話とアメリカの携帯・固定電話にかけ放題(1か月13ドルほど)
のプランに入っていたので問題なかった。
ただ1GBまでの利用が可能となっていたので、
使い過ぎないように、と警戒してホテルなどのWi-Fiを使うようにしていたら、
余り過ぎて勿体なかった気がしたほどだった。
離島の屋久島でも、実家の新潟でも、問題なくネットが使えたので大満足であった。
Narita
翌朝、ホテルでの朝食風景

「日本の食べ物は全然違うんだからな!
フォークもスプーンも、持ってこないと日本にはないんだぞ!
覚悟しとけよ!」
と、我が旦那に電話で何度も脅されていた義弟は
「日本の色んなものを食べる!」と意気込んでやって来た。
早速、箸にも挑戦。
お味噌汁も飲んでいた。
この時点では微笑ましい外国人の初日本食。
だが、これがそう簡単にはいかなくなるのである・・・。

日本里帰り 覚書 1 <旅の準備>

2014年の夏は遂に久方ぶりの日本帰省。
前回家族4人で帰省したのは5年前だ。

今年の夏は航空券の値段がなかなか下がらず、
ほぼ1か月近く値段の変動を見守った末、
その時点で一番値段が安く、乗り継ぎ接続が良いカナダ航空に決めた。

今回の旅のメイン・イベントは九州旅行であった。
長男が6年間通い続けている少林寺流空手道錬心館の
鹿児島にある総本山を訪ねること、
そして福岡で開催される全国大会を見学することが目的だった。
そこに妹から「九州に行くなら屋久島に行こうよ!」と、お誘いが掛かった。
妹は入籍したばかりで、愛する伴侶くんを連れて来てくれると言う。
また、東京にいる弟も、ずっと私達の帰省に同行してくれる予定で、
わざと定職に就かず、日雇い労働をしてくれていた。
姉妹弟、こんないい年になって、皆一緒に旅行できるとは、なんとも有り難い。

さらに、いつも長男の指導をしてくれている先生が、
福岡の全国大会に出場することになった。
彼の旅行が実現するまでには、様々な紆余曲折があり、
周りの応援と努力が実を結んで、めでたく日本行きが決まった。
空手大会前後に、私達ともう一家族、そして先生の滞在先、
移動手段、そして総本部の方々との日程合わせなど、
色々な打ち合わせ事項があり、最後の最後まで不明な点が多く、
少々手こずった。

さらにさらに、イランの義弟夫婦も日本に行ってみたい、と言い出した。
「行きたいから招待の手紙を一筆、書いてFAXで送ってくれ」と言われ、
そんなに簡単な事なのか?!
そんな筈はないだろう。
と、念のため、外務省のウェブサイトに行ってみると、
やはり、そんな筈はなかった。
何ページにも渡る書類を書き込み、
義弟の言っていた招待の手紙(招聘状)は、私が招聘人として書き、
日本に住んでいる父に頼んで保証人になってもらい、
日本から戸籍謄本、残高証明などなど、
母に頼んで必要な書類を役所に取りに行ってもらい、
大急ぎで私宛に郵送してもらった。

それを旦那がイランへFEDEXで郵送した。
送料は少々高いが、1週間以内にイランに届く手筈になっていた。
ところが発送後一週間ほどしてFEDEXから電話が掛かって来た。
「今、あなたの荷物がイラクの基地に届いているが、宛先不明です」
は?
イラク?
イランに送ったのですが?
・・・・
イラクとイランの違いが分からないアメリカ人には沢山出会ったが、まさか?
FEDEXが犯してよいミスではないだろう!?
発送手続きの時点でわかる筈の
「FEDEXはイランに荷物を送るサービスを行っていない」という事実が、
ここでようやく判明するのである。
そこから数日間「書類の封筒を送り返す料金を支払え」
「ふざけるな、お前が払え」
云々のやり取りがあり、これまた一悶着であったが、
とうとう発送から3週間後に書類は無事(?)手元に戻って来た。
再度、今度は郵便でイランに送る。
郵便は2週間弱で届き、義弟がイランの日本領事館へ提出した。
しかし義弟(ビザ申請者)本人が提出する書類があり、
「わからないからどうにかしてくれ」とFAXで送られてきたものを見れば英語。
日本語で提出したのと同じ様な内容を英語で記入し、
FAXで送り返して義弟が提出。
と、なんとも煩雑な2か月近い過程を経て、
ようやく義弟夫婦は日本行きのビザを手にした。

うちの家族が4人。
私の妹、妹の旦那、弟。
旦那の弟と、弟の妻。
帰省と、新婚旅行と、親族初の日本行きと、両家初顔合わせ・・・
全てがごちゃまぜになった旅が始まろうとしていた。

病に倒れる

タイトルがだいぶ大袈裟で、いかにも心配してほしげであるが、
まぁ、家族全員が次々に風邪を引いてしまった、というだけのことである。

旅疲れが取れきれない状態で、無理矢理日常生活に戻り、
体の免疫力が落ちていたのがまず下地。
そこに新学期を迎えて「子ども=渦巻く菌」の真っただ中に突っ込んで行けば
これはもう、逃れられない結果であったのかもしれない。

長男は咳をしつつ頑張って学校に通い続けた。
その2日後、私の喉がイガイガし始めた。
鼻が一気に詰まり、当然思考回路も詰まり、
長男に負けじと我慢して仕事をしていたけれど、
2日目には「もうだめだー」と夕方帰宅後、ベッドに直行。
その翌々日に次男が起床と同時に「のどが痛いー!」と言い始めた。
元々気管支の弱い子なので、咳が日に日に酷くなって、
医者に連れていくと気管支炎と診断され、抗生剤を5日間服用。
そして最後に、いつもは無敵のはずの旦那までが咳と鼻水に悩まされている。

9月1日はアメリカの祝日「レイバー・ディ」で、
よそではバーベキューだなんだとやっていた様子だが
3連休はひたすら家で療養するのみであった。

病気が酷いと、ひたすら寝る。
少し楽になると、テレビが見られるようになり、
もう少し元気になると本が読めるようになり、と
少しづつ何かしたくなることによって、
「あぁ、元気になってきたな」と分るのだが、
今回はどうも、なーんにもしたくない状態が長い。
本を読むのも未だに億劫である。
なのでマンガ本をウダウダ読んだり、
日本のテレビ番組をダラダラ見たりしている。

ブログの更新。
またちょっと、元気になったのかな?

皆様、お元気で。