走り書き

色々な事との戦いを余儀なくされている。

疲れた。

と思ったら、ぎっくり腰になってしまった。
弱い。
完全に寝たきりではないが、ソロソロとしか動けない状態。
まるで老人。
(これは元気なご老人に失礼か・・・。)


取りあえず、最近の事を走り書きしておこうと思う。

まず、長男の首の治療は続行中。
現在一番の問題点であり、すべてのトラブルも、これを中心に巻き起こっている。
何を犠牲にしてでも、長男が「普通の日々」を取り戻せるまで
試行錯誤は続く。

1月から次男も空手道場のメンバーシップをストップしてもらった。
長男をあちこち治療に連れて行くのと、
次男を空手に連れてくるのでは時間的に無理がある、
と先生たちに伝えた。
だが本音を言えば、道場に対するわだかまりが、
長男の中でも、私の中でも消えていないから。
その空気は次男も感じたらしく「もう行かなくていい」と本人が言ったので、
それでは、と止めることにしたのだった。

隔週ペースでやっていた日本語クラスを辞めた。
後任の方がうまく見つかり、ありがたいことに
中学生3人の生徒さんを引き受けてくれる事になったからだ。
そのうち1人はほぼ3年という長い付き合いだったので心苦しかったが、
長男の状況を説明したら理解してくれた。
3人とも、末永く日本語を愛していってほしい。

自分が知らない医学的、薬学的な疑問を、
色々な方に訊くべく、電話を掛けまくっている。
ありがたいことに近しい方で看護師さん、薬剤師さん、
外科医師さん、元保健室ナースさん、などなど、
私の質問に嫌な顔せず、相談に乗ってくれる方が沢山おられる。
また、私の気持ちの整理、もどかしい気持ちを吐露させてくれる人達。
身近にいるお友達は自分の子どものように長男を心配してくれる。
車屋で働いてくれている女性には、アメリカ人的見解を毎度乞うている。
故郷の母にもしょっちゅう電話で愚痴っては心配をかけている。

ミリグラム単位の薬の量についてのアドバイスから、
宇宙すべてに降りかかる気の話まで、
様々な分野の英知を分け与えてもらい、
その度に考え、調べ、そして最善と思える方法を選ぶ。
そうして進んできたつもりだが、
道は険しく、長い様だ。


色々な意味で身辺整理というか、
ストレスも行動範囲も最小限に抑える必要がある。
そう感じている。
自分にとって必要不可欠な事を見極める。
大事な事を大事と認識する。
できないことをできない、と認める。
取捨選択。

Mの帰国

2016年が明けた。
読者の中には、移民家族の父・Mが牢獄の中で新年を迎えたのか、と
心苦しく思っている方もいらっしゃるかもしれない。
なのでMのその後をご報告したいと思う。

投獄されて4か月が経過し、3度目の公判前手続きに直前に、
ようやくMの弁護士から
「きっと今回で片が付くだろう」と連絡が入った。
そして12月初旬、Mは釈放された。

起訴されていた3件のうち、2件は取り下げられた様だ。
1年間の保護観察を言い渡されたが、
この郡内に住んではいけないこと、
また妻に連絡してはいけないことのみが条件であった。

しかし釈放もめちゃくちゃであった。
夜の10時近くに突然オスカーの携帯電話に電話がかかってきた。
Mを釈放するから迎えに来い、と言うのだ。
「もう一晩とめてやってもらえないか?」と尋ねるオスカー。
どうやら断られたらしく、出かけて行った。
Mは郡内に住んではいけないので、
片道40分ほどかけて、郡の外にあるモーテルに連れて行かねばならなかった。

そして2日後に保護観察官に合わせるため、
オスカーがMをモーテルまで迎えに行った。
その際、イランに帰国する許可書を書いてもらった。
私は「そんなに簡単に出国できるのだろうか?」と訝しんでいたのだが、
正式に許可が下りたので、急いで飛行機のチケットを手配してやった。
そして釈放から4日後の朝、Mはイランへ向けて飛び立っていった。

オスカーも、そして私も、なぜだか晴れやかな持ちでいっぱいだった。

考えてもみてほしい。
右も左もわからぬ異国の地で、言葉もあやふやな状態で、
4か月も投獄されてしまう恐怖と絶望感を。
Mはとても痩せて、坊主頭になっていたそうだ。

イランに到着して、すぐにM本人と彼の姉から電話があった。
喜びに溢れた到着報告だった。
ようやく、肩の荷が下りた。
そんな気分。


その後も度々、Mと姉から電話がかかってくる。
私達にとても感謝していること、もとの銀行勤務に戻れたこと、
そして投獄されていた間の色々な出費は近いうちに返すから、ということ。
イランに帰った途端、もう連絡もこなくなるかも?
と思っていたけれど、思った以上に常識のある人だったらしい。
オスカーの弟のところには果物の贈り物までしてくれたそうだ。

アメリカにいる娘たちとも、どうにかして連絡が取れたらしく、
「靴をほしがっているから、買ってやってくれないか?」と頼まれたりしている。
娘たちがどうしてるのか、オスカー経由のまた聞きなので
詳しいことはわからないのだが、幸せな暮らしのはずがない。
靴や服など、娘二人が使うものならば、どうにかして届けてあげたいとは思う。
(現金をやったらRが好き勝手に使うのは目に見えているので嫌だが。)
今回の一番の犠牲者は娘たち二人なのだから。

Mによると、娘たちが「今、家を探している」と言っているそうだ。
そろそろ被害者救済団体の施設にもいられなくなるのかもしれない。
一生タダなんてサービスはないのだから、
そろそろRも自力で生き始めなければ。

もしかしたら「ある移民家族」シリーズもこれで終わりかもしれない。
もうすぐ母娘もイランに帰るかもしれないし、
この街に残ったとしても、私やオスカーの前に姿を現すわけはない。
Rのプライドが許さないはずだ。
いや、戻ってこないことを祈る。
双子の娘だけが、心配だけれど・・・。

2016年 元日

明けましておめでとうございます!
今年が皆さんにとって良い年となりますように。

2015年、特に後半はとにかく健康面においてついてない年だった。
長男の首の痛みは続き、それでも冬休みの2週間はのんびりできるだろう、と思っていた矢先、
私が風邪を引き、クリスマスに寝込んでしまったのだ。
サンタクロースがプレゼントを辛うじて置いて行ってくれたので救われたが、
24日仕事から帰宅後すぐ寝て、25、26日はベッドから出られなかった。

毎年恒例の「お節料理交換会」は、11月末頃に今年は辞退させて頂いていた。
長男の治療で自分に全く余裕がなかったからだ。
クリスマスに何もご馳走を作ってあげることが出来なかったので、大晦日くらいは、と子ども達の希望を聞いた。
行事ごとに疎いオスカーは年末年始も関係ない、と言った調子なので夕方4時半までオフィスに足止めをくらい、それから急いで買い出しに。

子ども達のリクエスト とんかつとカニ

唯一のお正月料理 のっぺ

2016年は心と身体の健康が何よりのテーマ。
今年もよろしくお願いいたします。