2016年度 新学期

8月15日、2016年新学期が始まった。
長男は6年生、次男は4年生だ。
アメリカは6年生からミドルスクール、中学校にあがる。
過去4年間兄弟一緒に通った小学校に、次男は今年から1人で登校する。
とは言っても車で母が送迎しているので、1人で通学路を歩くわけではないのだが。

こちらの学校にはMeet the Teacher Dayというものがあり、
新学期が始まる数日前に、家族と一緒に担任の先生に会いに行く。
クラスのメンバーも張り出されているので、去年仲良くしていた○○くんと一緒だ!とか
この先生に当たっちゃった!などど、ひと盛り上がりすることになる。
次男は今回苦手な先生に当たってしまい、微妙な表情であった。
しかし学校初日を終えて帰ってきた際には明るい表情で
「先生はね、宿題が嫌いなんだって!
テストも嫌いだけどフロリダ州の決まりだから仕方なく子供たちをテストするんだって。」と、
しっかりと味方意識を植え付けられていた。
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長男は中学に進み、人生初めてのスクールバス登校が始まった。
学校指定の3インチ(7.6㎝)もある分厚いバインダーを入れて、
ずっしり重いバックパックをしょって歩いていたら、
バスが10分も早く来て、慌てて猛ダッシュ!
ところがその後、バスは迂回に次ぐ迂回をし、
学校とは逆方向へ曲がるたびに隣に座った8年生は悪態をつきまくり、
運転手のおばちゃんは、どこぞの教会の駐車場に乗り入れる始末。
どうやらほかの路線で故障したスクールバスが出てしまい、
長男を乗せたバスが急遽回って子どもたちを拾ったらしいのだが、
その結果、35分も遅刻して学校に到着。

中学校は教科ごとに先生が変わり、その度に教室を移動しなければならない。
新学期直前のMeet the Teacher Dayでは、まず担任の先生から地図を渡され、
1時間目から6時間目までの教室に1~6までの番号を振る作業をさせられた。
そのあと実際に1日のシミュレーションとして、番号通り順番に動いてみた。
各教室には先生が待っていて、持ち物リストの紙を渡され、挨拶をする。
小学校では特別教科以外は教室を動かないし、
移動の際には先生に引率されて一列で動いていたので、この単独行動は初めてだ。
長男は新学期初日、2限から3限の移動に失敗したらしい。
始業と共に先生が開口一番、
「このクラスは全員、去年のテストで5段階評価1かそれ以下の人です。
今年はみっちり!頑張ってもらわなければなりません!」
「え!? 僕は1以下だったの?!」と、一瞬長男はパニックに陥り、
そんなはずはない、と思い直して、慌てて次の教室へ移動したそうだ。
いくつかのクラスには同じ小学校からの同級生がいて、
見知った顔のメンバーと一緒にカフェテリアでランチを食べたり、
緊張と興奮の連続!な初日であったらしい。

それだけでも十分刺激的だったと思うのだが、
長男はこの日、学校から家までの4マイル(約6.4㎞)を歩いて帰ってきた。
だいぶ距離はあるし、バックパックは重いし、
「初日だけでも、ルートを把握するためにバスで帰ってきたら?」
と何度か言ったのだが、本人はどうしてもやってみたかったらしい。
途中で雷が鳴りだし、小雨も降ってきて心配になったが、
長男の固い意思が伝わってきたので、迎えにも行かなかった。
2時間近くかかって帰宅後、「遠かったー!もう絶対やらない!」と言いつつも、
長男の瞳はアドレナリン・ラッシュでキラキラ輝いていた。

自分の遠い記憶の中で強烈に印象に残っている場面が幾つかある。
小学校に上がる前に初めて一人で県道を行ったこと。
小学校高学年になって、今まで行ったことのない遠い場所まで
友達と自転車で探検しに行き、この道とこの道が繋がるんだ!と発見したこと。
高校生の時、いつもは自転車→電車→バスで1時間半かけて登校していた道のりを、
衝動的に自転車で駆け抜けたこと。
どれも自分の行動範囲が飛躍的に広がった瞬間だ。
その時に強烈に感じた、地面は繋がっているという事実。
そして自分の足で、その繋がりを踏みしめて行けるという事実。
人よりも用心深く、外へ出ていくことが怖かった私は、
今故郷から遠く離れた、地球の裏側で暮らしている。
それでも手押し信号を押して、初めて一人で道を渡ったあの日のドキドキと、
渡った後の高揚感は、昨日のことのように鮮明に覚えている。

長男が歩いた道は空手道場に通う道と同じで、
7年間ほぼ週2回~5回は車で往復していた道。
歩いてみて初めて、それがとても遠いということ、
そして起伏が激しく、山登りをしている様だということ、
自分で体験してみて初めて、その道となりがわかった様だ。

どこまでもいける!道は繋がっている!

そんな風に、思ったかどうかは知らないが、
怖がりだった私が少しづつ世界を広げていったように、
長男もどこまでも世界を広げて、どこにでも、どこまででも行ってほしい。

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この夏でグンと成長した長男は、自分の部屋が欲しいと言ったり、
スポーツ選手が考案した(ただ名前を貸しただけ?)お高い靴を欲しがったり、
すっかりティーン化している。

6月までは、こんな風に普通の中学生になれるのか、全然見通しが立たなかった。
この2か月で彼が劇的に変わったのは、イラン帰郷をしていたからだ。
次回から少しづつ、そのイラン旅行記を書こうと思う。

ただいま

ブログを「さぼる」というより、完全に「放置」してしまっていた。
それどころかソーシャルネットワークのアップデイトも怠っていたので、
日本の友人から
「大丈夫?体調が優れないの?」
とメッセージをもらうほど、心配をかけることとなってしまった。

雲隠れしたかったわけではない。
2016年前半は忍耐の時期が続いた。
長男の首の痛みはずっと取れず、マッサージに通い、
学校と色々な面でもめ、何度も話し合いに出向いた。
子どもたちの学校が終わり、ようやく気持ちが和らぎ始めたのが6月初め。
そして6月下旬、イランへの帰郷を決行した。

今回の帰郷は家族4人全員が、渋い顔で挑んだ。
長男の体調がまだ万全でないことが一番の不安材料。
さらに2015年始めに車屋を拡張し、事務所を2か所にして以来、
初めての遠出・長旅でもあったからだ。

一番楽しみなはずの夫・オスカーでさえ、
「本当は行きたくないけど・・・行かなきゃダメなんだ」と、
自分に言い聞かせるような発言をしていた。
昨今の中東は平和とは程遠い状態にあり、
また出発の少し前にエジプト航空機が墜落するなど、
何となく不安になる要素も多々あった。

しかし、こうして帰ってきた今、言えることは
『今までで最高のイラン帰郷だった』ということ。
フロリダに戻ってきて、もう数か月が経過するが、
イランが、イランの家族が懐かしく思い出される。
イラン滞在記は少しづつ書いていくつもりだが、
何をしたか、どこへ行ったか、という事よりも、
この帰郷が私達を心身ともに癒してくれた、と言っても過言ではない。
今年、このタイミングで、イランに行くことが
私達家族にとって必要だった、とすら思えてくる。

生まれ育った場所ではないけれど、
私にとっても、そして息子達にとっても、
イランは「心のふるさと」になったのだった。