イランからの移民家族

アメリカ永住権が抽選で当たった家族がやって来た。

彼らのアメリカ到着は予想通り、スムーズにいかなかった。
7月4日の独立記念日に、我が家の最寄り空港に到着する予定だったのだが、
入国審査で質問攻めに遭い、時間を食ったらしい。
イラン人家族は当然乗り継ぎ便を逃し、
それを知らない我が旦那・オスカーは空港に迎えに行き、
彼らが降りてこなかったので心配していると、
翌朝飛ぶ便に変更してもらった、という連絡が夜中0時近くに入った。
その便は最寄り空港ではなく、我が家から片道2時間ほどの空港に到着する、
と言うので、翌朝6時半にオスカーが車をとばして4人を迎えに行った。


長旅の末、日曜日のお昼近くに、ようやく我が家にやってきた4人。
皆で到着を喜び、ランチを一緒に食べてお茶を飲んだ。

オスカーと私は事前に相談しておいた通り、まずイラン人家族に伝えた。
「この家を自分のものと思って、遠慮せずに使ってほしい。
冷蔵庫の物を好きに出して食べてくれればいい。
ただ、自分達は仕事があるので、ずっと一緒にいたり、
ご飯を作ったりはできないから、大したおもてなしはできないよ。」

奥さんのRさんと娘のMちゃん、Eちゃん(11歳の双子の女の子)は
思っていた以上に英語が話せるので助かった。
しかし夫のMさんは全く英語がわからない。

話してみると、彼らの計画はこうだった。
まず夫のMさんはアメリカ生活の基盤が整い次第、
単身イランへ帰って銀行の仕事を続けたいと思っていること。
Rさんはイランでは大卒だが、こちらではそれを認めてもらえないだろうから、
アメリカで学士号、または何らかの資格を取りたいと言う。
確かにこちらで大学を卒業すれば、就職の選択肢がぐんと拡がる。

本当はカリフォルニアに住みたい、と夫婦は言ったが、
オスカーがカリフォルニア州は生活費が高い事を伝えると、
大学が2つあるこの街で、ひとまず住む場所を探したいと言う。
しかし翌日には、Rさんが
「私が一人で年頃の娘二人を育てなければいけない!
夫は全然協力的じゃない!」と言い出し、夫婦は険悪なムード。
先の見通しが立たず、異国の地でのストレスがあるのはわかるが、
少々感情的だなぁ、と思わずにはいられなかった。


イラン家族が到着した日はちょうど、ワールドカップ女子サッカーの決勝戦の日だった。
テレビでは日本チームがアメリカチームと奮闘していたが、
その頃私は一人、台所でオーブンと格闘しながらカバーブを焼いていた。
イラン人家族は、と言えば、夕方6時頃に寝室に入ったきり出てこず、
結局我が家4人での普通の夕食となった。

まぁ時差ボケもあるだろうし、疲れているから仕方がないと思っていたが、
これ以降も連日、時差ぼけが治った頃になっても、
夕食時になると家族4人ベッドルームに入ってしまい、戸を閉めてしまう。
翌朝、「沢山作った夕食が冷蔵庫にあるから、好きな時に出して食べてね。」
と言って仕事に出かけるのだが、帰って来ると手を付けた形跡がない。
遠慮が得意なイラン人だから気を遣っているのだろう、と思い、
大人がダメなら子どもに、と双子に直接言うのだけれど、
どうやら両親に「食べるな」と言われているらしかった。

この双子の女の子はとても良い子達で、
「お手伝いすることある?」と気を使ってくれたり、
うちの息子たちとゲームをしたりして打ち解けていた。
絶対にお腹がすいているはずなので、かわいそうで仕方がない。
両親は3日目の朝から自分達で歩いて最寄りのスーパーに行き、
パンを1斤買って、寝室で食べたりしていた様だった。

ここまで来ると遠慮ではなく、もしかしたら私の料理が口に合わないのかも、
と思ってしまい、あまり無理強いもせずにいたが、
どうも食い違っている気がして仕方がなかった。


異国に到着したばかりの生活の立ち上げは色々と大変だ。
まず最初に、携帯電話がほしいというので、家族4人を連れてお店に行った。
クレジット社会のアメリカでは、何を買おうとしても
社会保障番号でクレジットを調べられる。
携帯電話のお店の人曰く、
彼らは社会保障番号も、フロリダ州発行の身分証明書(免許証など)もないので、契約ができない。
携帯電話本体をローンで買う事もできない、と言われた。
どうにか交渉し、私の免許証を提示して中古の携帯電話を現金で購入。
月々払いのプランに加入させてもらった。

次に家族4人は最寄りの銀行に口座を開設しに行った。
しかし、同じような理由と、住所確認ができない事から、
預金口座を開かせてもらえなかった、と帰ってきた。
これもオスカーが翌日一緒に銀行へ行き、どうにかこうにか交渉し、
永住権関係でアメリカ政府から届いた書類を使う事で口座開設に漕ぎ着けた。

この様に到着したばかりの移民は、色々な場面で選択肢がない。
自分も十数年前にアメリカに来た頃はそうだったのを覚えているし、
どこの骨ともわからない外国人との契約を渋る企業の言い分もわかる。
のだが、Rさんは違った。
携帯電話のお店では、
「なぜ自分の国から持ってきた電話は使えないのか」から始まり、
お店のお兄さんが中古の電話を安価で勧めてくれた時も、
「本当にこれは動くのか、動かなかったら返品できるのか」と尋ねていた。
銀行ではオスカーが交渉しているさなか、
「あたしの夫のMは、イランで銀行員なんだから!
銀行のルールなんてわかっているだから!」
と銀行員に食って掛かったと言う。
我が暴れん坊将軍・オスカーが、これに黙っているわけがなく、
「ちょっと待て。昨日ここに来て口座を開けなかったのは誰だ?
できなかったら俺が今来てるんだろう?ちょっと黙っててくれ!」
と言ったそうだ。


交渉事でなくても、Rさんとはコミュニケーションの取りにくさを日々感じた。
社会保障番号がないと不自由だと思い、
私が書類をプリントしてRさんに渡した際には、
「パスポートにあるこの入国スタンプがあれば働ける。」と言い張った。
私にはその情報が正しいかどうか、わからなかったが、
「そうなのかもしれないけど、買い物をするにも、運転免許証を取るにも、
社会保障番号は色々な場面で必要なので、
取っておいたほうがいいと思う」とだけ伝えておいた。
その数日後、イラン家族は4人で往復1時間かけて役所まで歩いて行った。
言ってくれればいつでも車に乗せて行ったのに、
私に「社会保障番号は必要ない!」と言った手前、頼みにくかったのかもしれない。

また電化製品売り場で、小さめだが2万円以下のテレビを物色していたRさんとMさんに、
「これは手頃の値段だね!」と言った時も、Rさんはすかさず
「イランの家にあるうちのテレビはね・・・」と
私を大きいテレビの前に連れて行き、メーカーが何かまで説明していた。
イランでは豊かな暮らしをしている、という事をアピールしたかったのだろう。
この様に、日に日に「張り合ってやる!」と言う気合を漂わせ、
こちらは免許証取得までの流れ、や
子ども達の学校に登録する方法、などの情報をお伝えしているだけなのだが、
「そんなことわかってる」
「イランでも同じ、イランにもある」
と返される事、度々。
私が勝手知ったる顔で色々言うのが、相当お気に召さなかったのだろう。

私はペルシャ語が半分くらいしかわからないので、それほど応えていなかったのだが、
オスカーは数日経ったこの頃から、Rさんにイライラし始めた。

とにかく、早くアパートを見つけなければ!

(つづく)
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